【14年6月21日探索・7月1日公開】
現在地はこの辺
路肩に境界柱があったので撮影した。
これは相模原市の市章であり、ここが相模原市道である事を主張していた。
この場所は合併前の相模湖町であるので、境界柱の設置は2006年以降という事になる。
これは相模原市の市章であり、ここが相模原市道である事を主張していた。
この場所は合併前の相模湖町であるので、境界柱の設置は2006年以降という事になる。
手前に設置(放置?)されていた工事関係者以外立入禁止看板との整合性が取れなくなるが、これで私なりの言い訳も出来た。ここは公道だ。
先に進む。
道路の幅自体は片側2車線近くあるが、現在の有効幅員としてはシングルトラックとなった。
道路の幅自体は片側2車線近くあるが、現在の有効幅員としてはシングルトラックとなった。
鉄製のフラッグ状のものがあった。
こちら側からの数字の判読は難しいが、反対側からだと16の数字が振ってあった。
何に利用していたものだろうか?
こちら側からの数字の判読は難しいが、反対側からだと16の数字が振ってあった。
何に利用していたものだろうか?
先の方が明るくなってきた。
旧道志橋の橋脚手前まで到達した。
昭和39年に現橋が竣功し旧道落ちしたのち、橋げたは昭和41年~昭和47年の間に撤去された(国土変遷アーカイブの航空写真よりの推測)ようだが、橋脚は今なお3本が残されている。
昭和39年に現橋が竣功し旧道落ちしたのち、橋げたは昭和41年~昭和47年の間に撤去された(国土変遷アーカイブの航空写真よりの推測)ようだが、橋脚は今なお3本が残されている。
反対側に行ってみよう。
現在地はここ
国道412号と413号の交差点である「三ヶ木(みかげ)」交差点だ。
すぐ左側にある県立津久井高校はあの小泉今日子が通った高校である。
すぐ左側にある県立津久井高校はあの小泉今日子が通った高校である。
話がそれた。
私は左方向からやってきたのだが、この後に行く旧道は左斜め方向の道になる。
ここから現・道志橋南詰間の約800mの旧道は、廃っぽさはまったく期待できない。
期待するのは、旧・県道相模原与瀬線時代の証拠となる何かである。
私は左方向からやってきたのだが、この後に行く旧道は左斜め方向の道になる。
ここから現・道志橋南詰間の約800mの旧道は、廃っぽさはまったく期待できない。
期待するのは、旧・県道相模原与瀬線時代の証拠となる何かである。
と思い進んでいくと、全然関係ないものに目が留まった。
森田病院と言う病院の敷地内の通路なので、部外者にどうこう言われるものではないのだろうが、かつて車が右側通行していた期間があったようで、その修正の跡があった。
探索には関係ないので先に進む。
標識の設置者、境界柱、ここまでまったく期待に応えてくれるものはなかった。
そして、この先にまた境界柱があるのだが・・・
神奈川県のマークだった!
ようやくこの道がかつて県道である事の名残を発見した。
そして旧道のこの区間、800mが終わろうとしていた。
現・道志橋南詰交差点が見えてきた。
現・道志橋南詰交差点が見えてきた。
(その3へつづく)