【14年5月18日探索・6月28日公開】
旧橋がどういう状態なのかは、パソコンの画面では何度か見ていた。
それにしても奇跡的とも言えるような状況での残存だ。
それにしても奇跡的とも言えるような状況での残存だ。
現橋は「稲又川橋」という銘版が付いており、昭和59年3月竣功である事もわかった。
なので、ここへ向かう道のレポの時からこの廃橋を「旧稲又川橋」という呼び方をしているが、正式にそういう名称であったのかどうかは不明だ。
なので、ここへ向かう道のレポの時からこの廃橋を「旧稲又川橋」という呼び方をしているが、正式にそういう名称であったのかどうかは不明だ。
この橋にわざわざやってきて上から見て終わりと言うのはあまりにつまらない。
なので、河原まで下りてきた。
なので、河原まで下りてきた。
そう簡単にこの桁が落ちることはないとわかっていても、やはり真下は長居したくないな~。
現橋との対比ではこの画像がいちばんお気に入りになった。
旧橋の橋脚はもう1本残っていた。
ここまでの道路構造物の竣功年から推測すれば、この旧橋も昭和40年頃に建造されたものと思われる。
ただ、この橋の手前までは森林鉄道跡の改良であったのだが、森林鉄道はここで川を渡らずに稲又川右岸沿いに登っていたので、その事も加味して考えるともう少し後の年代である可能性もある。
ここまでの道路構造物の竣功年から推測すれば、この旧橋も昭和40年頃に建造されたものと思われる。
ただ、この橋の手前までは森林鉄道跡の改良であったのだが、森林鉄道はここで川を渡らずに稲又川右岸沿いに登っていたので、その事も加味して考えるともう少し後の年代である可能性もある。
昭和57年の台風被害なのか、現橋が架かった後の災害なのかは不明だが、もう相当の期間こんな極めて不安定に見える状態を晒しているはずだ。
橋の付根部分が向こう岸に刺さっている状態なので、これからも撤去されない限りこの姿を残し続けるような気がする。
橋の付根部分が向こう岸に刺さっている状態なので、これからも撤去されない限りこの姿を残し続けるような気がする。
河原の下流方向を見てみた。
ズームアップすると、こんな感じのものがいくつか残されている。
これなんかも旧橋の関連のものなのかなあ。
これなんかも旧橋の関連のものなのかなあ。
(一連のレポは終わりです。林鉄跡も少しだけ行っていますがそれはまた後日)