【14年3月29日探索・4月10日公開】
有東木沢(うとうぎざわ)橋にやってきた。
ここからでも右の欄干が見え、それなりに古そうな橋であることは簡単に予想できた。
案の定、昭和34年8月竣工、間もなく55年という歳月を経た橋である事が判明した。のだが・・・
ここからでも右の欄干が見え、それなりに古そうな橋であることは簡単に予想できた。
案の定、昭和34年8月竣工、間もなく55年という歳月を経た橋である事が判明した。のだが・・・
進行方向左側の欄干にはまったく違う情報が書かれていたのだった。
昭和57年3月竣工、それだけならまだしも橋の名称まで異なっていたのだった。
昭和57年3月竣工、それだけならまだしも橋の名称まで異なっていたのだった。
「有東木橋」だと、mapion地図を見る限り進行方向左折し2km強進んだ場所に架かっている橋とも名称がかぶる。
左半分と右半分の建設時期が異なっている事自体は拡幅によるものであろうから、それほどレアなものでもないだろうが、橋の名称が違うのはレアすぎだぞ!
左半分と右半分の建設時期が異なっている事自体は拡幅によるものであろうから、それほどレアなものでもないだろうが、橋の名称が違うのはレアすぎだぞ!
次なる目的地に到着した。
ところで、ミニヘキサ、静岡にもあったんだ。
ところで、ミニヘキサ、静岡にもあったんだ。
現在地はここ
今度の吊橋は主塔がしっかりしているものだった。
それでも歩行者しか対象にはなっていないようだ。
橋の手前には通行制限などは書かれておらず「揺らさず静かに渡る」ことだけが守られるべき事項となっていた。
それでも歩行者しか対象にはなっていないようだ。
橋の手前には通行制限などは書かれておらず「揺らさず静かに渡る」ことだけが守られるべき事項となっていた。
では渡橋しよう。
橋の全長はmapion地図上での測定で約150mだ。
床板の幅は45cmしかないが、途中7箇所に離合箇所が設けられており、橋上でのすれ違いがスムースに行われるようの配慮されていた。
橋の全長はmapion地図上での測定で約150mだ。
床板の幅は45cmしかないが、途中7箇所に離合箇所が設けられており、橋上でのすれ違いがスムースに行われるようの配慮されていた。
実際それほど利用者が多いのかは不明だが、対岸にも数軒の家屋があり、日常的に通行する人はいるようだ。
このあたりの集落名である「渡(ど)」とこの橋に関連性があるのかどうかは現段階では不明だ。
このあたりの集落名である「渡(ど)」とこの橋に関連性があるのかどうかは現段階では不明だ。
下流方向(左側)を見た。
それほど水量は多くなかったが、川幅はけっこうある。
それほど水量は多くなかったが、川幅はけっこうある。
対岸にはなにやら石垣が多いな。
渡り終えて振り返った。
橋のほぼ全景になる。
2径間ということになろうか。
先ほどの吊橋ほどではなかったが、それなりに揺れた。
2径間ということになろうか。
先ほどの吊橋ほどではなかったが、それなりに揺れた。
県道に戻り、南下を続ける。
400mほど南下した所の大河内洞門(昭和50年3月竣工)の先に、今だけ限定な光景があった。
現道が災害のための復旧工事中で、迂回路が設置されていた。
7月末までのレアな光景ではあった。
7月末までのレアな光景ではあった。
(その6につづく)