【18年10月14日探索・19年3月21日公開】 また、何か石碑があった。 馬頭大士と読める。馬頭観音の事であるそうだ。 そして、右の方を凝視すると、嘉永七年と読むことが出来た。 嘉永7年は西暦1854年、これまた160年以上も前の事だ。やっぱり、古くから利用されていた道で間違いなかろう。 洗い越しっぽい場所を通過し・・・ 橋の手前には境界柱があった。 河川区域の境界柱であるようだ。管理者は山梨県という事か。 橋を渡る。川の名は秋山川、橋の名は不明だった。 この橋で得られた情報は、この付近にはクマが出没するらしいという事だけだった。 橋の先にも普通に道は続く。 階段があり、その先には扉付きの広場入口があった。 これが、上野原市東部スポーツ広場だ。 小雨降る日だった事もあったか、利用者はいなかった。 なぜか、桜井小学校体育用具収納倉庫があった。 桜井小学校は県道35号線近くにあったが既に閉校になっている。 単に倉庫の流用か? スポーツ広場の看板もあった・・・が、建物の裏側なので、よほど探す気にならない限り見つけられない。 これはまた別の用具倉庫になっている場所だ。 雨足が強くなったので、私は10分ほどここで雨宿りをした。 ちなみに、この隣が公衆便所(水洗じゃなかった。ボットンだ。)だった。 (おわり) |
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山梨県上野原市 秋山東部スポーツ広場への道(後編)
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