【18年11月4日探索・19年1月22日公開】
現在地はここ
石造りの倉庫があった。
そして、その前には説明板があった。
そして、その前には説明板があった。
那須烏山市の近代化遺産になっているようだ。
この建物の他にも全部で4棟あるそうで、昭和14年(1939)と昭和15年に建てられたようだ。
この建物の他にも全部で4棟あるそうで、昭和14年(1939)と昭和15年に建てられたようだ。
バットレス、かなり遠くて実際はよく見えなかった。
特に何もなかったが、建物の裏側も一応チェックした。
蔦がものすごくて建物が見えないが、これも4棟のうちの1棟だろうと思う。
その先、この石垣??は何だろう・・・
線路の先の方向に向かった。
現在地はここ
駅の先約200m、この場所にはかつて踏切があった。
昭和55年の今昔マップにもそのように描かれている。
烏山駅の方を見てみる。
・・・よく見えない。
・・・よく見えない。
隙間から覗いてみた。
途中までは線路跡という事になる。
途中までは線路跡という事になる。
ズームアップすると、私が宇都宮から乗車してきた「電車」がまだ充電中なのが見えた。
「踏切」のさらに先に行ってみよう。
この激藪の先は・・・
この激藪の先は・・・
竹藪ではなくなったが、ここもまた通れるような状態ではなかった。
道路の先はスーパーマーケットの駐車場になっていた。
100mほど先のスーパーの建物付近まで線路があったようだが、そこから先には何も痕跡はなかったようだ。
100mほど先のスーパーの建物付近まで線路があったようだが、そこから先には何も痕跡はなかったようだ。
ちなみに、ここにあった線路は茂木(旧真岡線・現真岡鉄道)を通り、常陸大宮(水郡線)まで計画されていた路線(日本鉄道旅行地図帳3号 関東1・新潮社より)の一部という事になる。
もう9年も前だが茂木から先の国鉄長倉線未成区間も探索しているので興味ある方はどうぞ。
もう9年も前だが茂木から先の国鉄長倉線未成区間も探索しているので興味ある方はどうぞ。
(おわり)