【18年9月16日探索・11月12日公開】
現在地はここ
山梨県上野原市四方津 今日はここから左折し、相模川を渡り、その先にある千足という集落まで行ってみようと思う。この集落は標高は300mそこそこなので天空集落とは言えなさそうだが、グーグルカー(ストリートビュー)も入っていないので情報もなく、私は以前より気になっていた。
では、行ってみよう。
車道もあるんだが、私は好き好んでこんな道を進んでいく。
近いという事もあったんだが、他にも理由がある。
近いという事もあったんだが、他にも理由がある。
ところで、左の欠落箇所には「上野原町」のAバリケードが設置されていた。ここも市道(上野原市は2005年に北都留郡上野原町及び南都留郡秋山村が合併して発足している)
余談になるが、合併時の人口約2.9万人だったのが2018年10月の推計人口は23448人だそうだ。13年間で、この人口で5500人も減っている。旧上野原町の合併前の人口よりも減っている事はけっこう深刻だ。
余談になるが、合併時の人口約2.9万人だったのが2018年10月の推計人口は23448人だそうだ。13年間で、この人口で5500人も減っている。旧上野原町の合併前の人口よりも減っている事はけっこう深刻だ。
道は直線的に下っていく。作業をしている方がいる。
そんな時にちょうど中央本線の特急が通過していった。
そんな時にちょうど中央本線の特急が通過していった。
その、中央本線をくぐるのがこの狭いカルバートだ。
四輪は物理的にキツそうだ。そもそもここに至るまでの道が車道ではなかった。幅員は1.6m程度、高さが1.9m程度か。
四輪は物理的にキツそうだ。そもそもここに至るまでの道が車道ではなかった。幅員は1.6m程度、高さが1.9m程度か。
その狭いカルバートだが、さらに内部で数センチ狭くなっていた。
まあ、歩行者には大きな問題はないんだが・・・
まあ、歩行者には大きな問題はないんだが・・・
カルバートの先、ほぼ正面の車道を下っていくんだが、一応振り返っておこう。
自動車の通行制限標識などは設置されていなかった。
物理的に無理だから察しろという事か。
物理的に無理だから察しろという事か。
昭和43年(1968)10月と思われる扁額(?)があった。複線化のタイミングでの施工なんだろうと思うが、この区間の複線化は昭和43年9月24日なので、複線化された際にはまだ工事中だったのか??
何だかイイ雰囲気の道だな。
この先も、期待できるかも・・・
この先も、期待できるかも・・・
前方には木製支柱の街灯、しかも現役のものがあった。
この木製電信柱は、どうも旧・電電公社が設置したものであるようだ。
「昭三三二」は昭和33年2月の事だろうか?
「昭三三二」は昭和33年2月の事だろうか?
ちなみに、電灯の方はLEDになっていた。
下り切った所に、吊り橋が架かっていた。
2.0tの重量制限が課せられているこの橋、名前は千足橋という。
この先の千足集落に行くためには、徒歩で山越えでもするなら話は別だが、普通に行くにはこの橋を渡るしかない。つまり、集落には2t以上の重量の車は行くことが出来ない事になる。
この先の千足集落に行くためには、徒歩で山越えでもするなら話は別だが、普通に行くにはこの橋を渡るしかない。つまり、集落には2t以上の重量の車は行くことが出来ない事になる。
(その2へつづく)