【18年1月14日探索・9月16日公開】
現在地はここ
少し進むとガードレールがある。
斜めに設置されているガードレールは道路の生と死を分けるものだ。
左側が生で右側が死にあたる。
左側が生で右側が死にあたる。
すぐその傍らには埼玉県の境界柱が残されていた(現道のものである可能性もあるが)。
現在地はこの辺
その「死」の宣告の先になる。廃道区間は120m程になる。
実際は「生」とか「死」とか大げさに言った程の状態ではなく、廃道としては通行しやすい。
路面に描かれているのは「40高中」だろうか。
路面に描かれているのは「40高中」だろうか。
廃道終端のガードレールが見えてきた。
その先を見る。
私はこの橋が現役だった頃、何度か通行していたんだが、橋の画像を1枚も残していなかった事が悔やまれた。
私はこの橋が現役だった頃、何度か通行していたんだが、橋の画像を1枚も残していなかった事が悔やまれた。
終端のガードレール付近で振り返った。
これが一番イイ感じかも。
これが一番イイ感じかも。
治水橋現橋の銘板を探してみたら・・・
大変珍しいものが橋の桁横に張り付いていた。
13径間のガーダー橋なんだが、A1~P2までが1991年3月、それから右岸側が1992年5月に架かっている事になっている。ちなみに開通は1993年(平成5年)だ。
桁毎に施工会社が変わっていて、その会社数は11社にもなっていた。
大変珍しいものが橋の桁横に張り付いていた。
13径間のガーダー橋なんだが、A1~P2までが1991年3月、それから右岸側が1992年5月に架かっている事になっている。ちなみに開通は1993年(平成5年)だ。
桁毎に施工会社が変わっていて、その会社数は11社にもなっていた。
せっかくなので、橋を下から見てみる。
現・治水橋を渡ろう。
本当に見にくい時間の画像ばかりになってしまい、ご容赦頂きたい。
本当に見にくい時間の画像ばかりになってしまい、ご容赦頂きたい。
左側を見る。
廃道区間の全景になる。20年以上経っている割には状態はいいかも。
廃道区間の全景になる。20年以上経っている割には状態はいいかも。
(後編につづく)