【14年1月26日探索・2月12日公開】
現在地はここ
山梨県大月市富浜町鳥沢 国道20号線鳥沢橋手前ををほんの少し逸れたあたりだ。
今日は右側の道から中央自動車道方向へとアプローチする。
今日は右側の道から中央自動車道方向へとアプローチする。
すぐ先に橋があるがこれは中央本線を跨ぐ水路橋だ。以前渡橋してしまっているのだが、未だに渡っても良かったのかどうか不明だ。
現在地はこのあたり
今私が通っている道が中央道工事に関連するかどうか、だが、私が持っている昭和51年(1976)の5万分の1地形図「上野原」や昭和54年の航空写真ではそれらしい車道が確認できず、昭和63年(1988)の航空写真にはそれらしい道路が確認できる。つまり1980年代前半くらいに出来た道路と思われる。
中央自動車道が最初に開通したのは昭和44年(1969)だし、この区間の6車線化工事が始まったのは平成7年(1995)頃なので、この道路は日本道路公団が建造した工事用道路ではなさそうだった。
30mくらい進むと、目立つ境界柱が建っていた。
JH、つまりNEXCO中日本の管理の境界柱だった。ここから先は元の工事用道路であったと考えて間違いなかろう。
この分岐は右に進む。
この分岐は右に進む。
この工事用道路について、私は現在地点より約800m離れているこの道路との関連があるのかどうかが気になっており、今回それも確認しようと思う。
半廃道のような道路はすぐに突き当たる。
今度はこれを右折する。
今度はこれを右折する。
路面がぬれているせいかもしれないが、妙に新しく感じる。
高速の手前で門がありそこから先へは行けない。
その右に細い道があるがここは深追いしない。
その右に細い道があるがここは深追いしない。
3枚上の画像の突き当たりのところまで戻って来た。
先ほどは右下から来て坂を登っていったのだが、半廃道が急にいい道になったのには、ワケがあった。
この画像を見れば説明は不要だろうが、このフェンスの向こう側の画像をお見せしよう。
先ほどは右下から来て坂を登っていったのだが、半廃道が急にいい道になったのには、ワケがあった。
この画像を見れば説明は不要だろうが、このフェンスの向こう側の画像をお見せしよう。
工事用道路の跡はフェンスの向こう側へ延びていた。
6車線化工事の際、現在の上り線の増設工事のための道路だったものと思われる。
6車線化工事の際、現在の上り線の増設工事のための道路だったものと思われる。
(その2へつづく)