【18年4月1日探索・8月17日公開】
現在地はここ
全3回の連載だが、3回とも記事カテゴリーが違う。
当ブログには「登山」系のカテゴリーがないので「その他(その他)」に入れておこう。
当ブログには「登山」系のカテゴリーがないので「その他(その他)」に入れておこう。
駅と電鈴式踏切と旧道を堪能した私は、最後の目的地へと向かう事にした。
そう、ここから富士山(多分「ふじやま」なんだろう)の登山になる。
そう、ここから富士山(多分「ふじやま」なんだろう)の登山になる。
登り始めてすぐにあったのは右側の石塔だ。
これは一合目を示す石塔だが横側には「壱合 到穀聚山程 嘉永三庚戌歳十一月吉日」と刻まれていた。
嘉永3年(1850)、庚戌(かのえいぬ)の年の11月に建立されたものである。
これは一合目を示す石塔だが横側には「壱合 到穀聚山程 嘉永三庚戌歳十一月吉日」と刻まれていた。
嘉永3年(1850)、庚戌(かのえいぬ)の年の11月に建立されたものである。
とりあえず、上りにくい階段を上っていく。
この辺、5合目の石塔があったあたりだ。
そして、ほどなく・・・
早くも7合目になる。
ここまで要した時間はわずか2分、これは楽勝か?
ここまで要した時間はわずか2分、これは楽勝か?
登山道というか、浅間神社の参道沿いにはいろいろなものがある。
こんな石の祠や・・・
こんな石の祠や・・・
これは何だ? えっ、高尾山、東京都八王子市のやつ??
そんな参道を進んでいくと・・・
また何かがあった。
石碑は、杉山さんという方が紀元2600年(昭和15年)に55回登山で大願成就し、そのお礼に建てられたものと思われる。
石碑は、杉山さんという方が紀元2600年(昭和15年)に55回登山で大願成就し、そのお礼に建てられたものと思われる。
で、その向こう側の建物は、何だかわからなかった。
神輿でも入っていたのだろうか?
神輿でも入っていたのだろうか?
この辺で8合目くらいになる場所だが、景色はまあそれなりにいい。
9合目の石碑を見ながら、最後の上りになる。
頂上に着いた。
ここまでの所要時間は8分、意外とかかったな・・・
ここまでの所要時間は8分、意外とかかったな・・・
浅間神社はこの祠で間違いないようだ。
せっかく富士山にきたのだから、ちゃんと参拝しよう。
せっかく富士山にきたのだから、ちゃんと参拝しよう。
他にも何かないかと見回したら、ここは「富士山」で、標高163mである事が示されている手作りの案内板があった。
Wikipediaではこの山の標高は160mとされており、それとは3mほど違っているが、まあいいか。
(おわり)