【18年5月5日探索・7月9日公開】
現在地はここ
バス停があった。その名は大雄院事務所前だ。
当然、反対側にもバス停がある。そしてこの上屋はどことなく鉄道の雰囲気がある。
・・・ややこじつけだが、かつて日立駅(当時は助川駅)からこの大雄院までの専用鉄道が、明治41年(1908)から昭和35年(1960)までの間敷設されていたのだった。
実際の大雄院停留所があった場所は最初の画像、左側にある駐車場付近らしい。
実際の大雄院停留所があった場所は最初の画像、左側にある駐車場付近らしい。
少し引いて撮影すると、大半が折れてしまいながらも現役の大煙突が見えた。
道路に話を戻そう。
ここにはとても幅員の広い橋が架かっている。大雄院橋、昭和33年(1958)竣工だ。
ここにはとても幅員の広い橋が架かっている。大雄院橋、昭和33年(1958)竣工だ。
県道の現道は左方向、黄色いセンターラインの通りなのだが、ここには旧道があり、それが矢印のあたりから始まる道だ。
ただ、ここの敷地所有者であるJX金属の管理地になっているようだったし、入り口の警備員がこちらを見ていたので、反対側に行ってみよう。
ただ、ここの敷地所有者であるJX金属の管理地になっているようだったし、入り口の警備員がこちらを見ていたので、反対側に行ってみよう。
という訳で県道の現道を進む。
差し込み式の道路情報板、減ってきたなあ・・・
差し込み式の道路情報板、減ってきたなあ・・・
旧道の橋が見えた。
よく見えないが、普通の桁橋ではなさそうだ。これはちゃんと見たいな・・・
現在地はここ
反対側の新旧道分岐にやってきた。
こちら側からは多少は入って行けそうだ。
こちら側からは多少は入って行けそうだ。
橋を渡った所までは行けるようだ。
名前が判明した。
大白峰橋(たいはくほうばし)というそうだ。
大白峰橋(たいはくほうばし)というそうだ。
そして、いつできた橋なのかと思っていたが、昭和16年(1941)3月だった。
橋の脇から少し下がって行ける場所があった。
で、こんなアーチ橋である事がわかった。
で、こんなアーチ橋である事がわかった。
また現道に合流し、先に進もう。
(その3へつづく)