【18年3月18日探索・5月28日公開】
現在地はここ
栃木県栃木市大平町西水代 県道36号岩舟小山線だ。
今日はこの先の千部橋の旧橋が気になっていたので、見に行こうと思う。
永野川に架かる千部橋旧橋は2015年9月の水害により流出していたのだった。それから2年半が経過していたのだが、すぐ近くには現橋があるので、撤去されてしまったかもしれない。それでもそれを見ておきたかった。
橋が流された記事の参考リンク http://sayama64.blog.so-net.ne.jp/2015-09-10
今日はこの先の千部橋の旧橋が気になっていたので、見に行こうと思う。
永野川に架かる千部橋旧橋は2015年9月の水害により流出していたのだった。それから2年半が経過していたのだが、すぐ近くには現橋があるので、撤去されてしまったかもしれない。それでもそれを見ておきたかった。
橋が流された記事の参考リンク http://sayama64.blog.so-net.ne.jp/2015-09-10
ところで、この左側の境界柱を見てみると・・・
「建」の文字が刻まれていた。
これは建設省の境界柱である。そう、この県道は元・国道50号線なのだ。現在のバイパス道が開通後の昭和61年までは国道だったため、建設省の境界柱が残っているのだろう。
これは建設省の境界柱である。そう、この県道は元・国道50号線なのだ。現在のバイパス道が開通後の昭和61年までは国道だったため、建設省の境界柱が残っているのだろう。
その境界柱の10mほど先にあったのは栃木県の3kmのキロポストだった。これは県道36号線のものだろう。
そのまま800mほど進んでいき、信号を右側の道に入る。
現在地はここ
ここから先が旧道になる。
この先200m・2t制限の標識があるが、特に更新や×印などは無いようだ。
この先200m・2t制限の標識があるが、特に更新や×印などは無いようだ。
のどかな感じの旧道を進む。
この区間には「建設省」や「栃木県」管理を思わせるものはなかった。
この区間には「建設省」や「栃木県」管理を思わせるものはなかった。
土手分の上りの先が橋になるようだが、通行止めなどの文言は見当たらない。
橋の袂まで来た。通行止ではなかった。
元々はハルニチさんの記事で気になっていた橋だったのだが、その後流されたというニュースを知り、今回状況を確認しに来たのだが、意外なことに復活していたのだった。
橋を渡る前に左側・・・
千部橋供養の石塔が建っていた。
この供養塔、なんと享保年間の建立であるようだ。享保年間は1716年~1736年までなので、約300年前にはこの場所に「千部橋」が架かっていたという事になる。
この供養塔、なんと享保年間の建立であるようだ。享保年間は1716年~1736年までなので、約300年前にはこの場所に「千部橋」が架かっていたという事になる。
その隣の小さな祠は昭和6年10月15日改築と刻まれていた。
これも相当古いものであるようだ。
これも相当古いものであるようだ。
(後編につづく)