【17年9月16日探索・18年1月12日公開】
現在地はここ
鉄道の鉄橋は渡れないので、南側の県道15号川越日高線の初雁橋を渡る。
入間川沿いの道は県道157号川越狭山自転車道になっている。
入間川沿いの道は県道157号川越狭山自転車道になっている。
その自転車道には、自転車道ならではの標識が建っていた。
JR川越線の入間川橋梁をくぐり・・・
東上線入間川橋梁の右岸側にやってきた。
現橋近くを一応探してみたが、旧橋の遺構などは発見できなかった。
現橋近くを一応探してみたが、旧橋の遺構などは発見できなかった。
現在地はここ
現在線のすぐ北側、旧線遺構がこちら側にも残っていた。
少し角度を変えてもう1枚パチリ。
煉瓦橋台のすぐ北側、妙に広いスペースがある・・・気のせいか?
線路沿いの砂利道を30mほど進んで、振り返った。
実はこの場所付近のどこかに大正3年(1914)から大正5年の間だけ存在した東上鉄道(当時)の終点、田母沢(たのもざわ)駅があったとされる。
わずか2年ほどしか存在しなかったおそらくは仮の終点であった事、また現在線や旧線に駅を造った場合、勾配上の駅という事になり、蒸気機関車しかなかった当時としてはありえないだろうと思うので、この場所が最有力と思われる。
わずか2年ほどしか存在しなかったおそらくは仮の終点であった事、また現在線や旧線に駅を造った場合、勾配上の駅という事になり、蒸気機関車しかなかった当時としてはありえないだろうと思うので、この場所が最有力と思われる。
さらに振り返り、川越方向へ進む。100mくらい先、右折すると・・・
すると、もう一つ煉瓦構造物がある。
現在線の上り線だけが煉瓦造りである。
これが大正3年開業時のものなのか、大正5年の川越市~坂戸町まで延伸時のものなのかは不明だ。
これが大正3年開業時のものなのか、大正5年の川越市~坂戸町まで延伸時のものなのかは不明だ。
ガードをくぐり、南側に出た。
田母沢駅は
こちら側であった可能性もあるにはあるのだが、私は現在線のすぐ北側説を押してみたい。
田母沢駅は
こちら側であった可能性もあるにはあるのだが、私は現在線のすぐ北側説を押してみたい。
(終わり)