【17年8月13日探索・11月27日公開】
どの地図にも描かれていない分岐があった。左の道はゴルフ場の管理道路だろうか?
現代の設計の道路ではないので、本当にカーブが多い。
なので、国道時代は死亡事故が多かったのだろう。
そう言えばずっと道路照明もないようだが、国道時代から存在しなかったのだろうか?
そう言えばずっと道路照明もないようだが、国道時代から存在しなかったのだろうか?
そして、橋が架かっているのが遠くに見えてきた。
現在地はここ
県境の橋にたどり着いた。
旧型の山梨県のカントリーサインが建っているものの、雑草に飲み込まれそうだ。
旧型の山梨県のカントリーサインが建っているものの、雑草に飲み込まれそうだ。
橋の欄干は少しヤバい状態になっているようだった。
その欄干から
下を覗き込んだ。
コンクリアーチ橋であろう事が予想された。
どこかからちゃんと見たいな。
下を覗き込んだ。
コンクリアーチ橋であろう事が予想された。
どこかからちゃんと見たいな。
そう言えば、この橋の情報が欲しかった。
国境橋と地理院地図に描かれていたこの橋だが、この藪がすごくてとても親柱まで見る事は出来なかった。
竣功年月が刻まれていると期待していたのだが・・・
国境橋と地理院地図に描かれていたこの橋だが、この藪がすごくてとても親柱まで見る事は出来なかった。
竣功年月が刻まれていると期待していたのだが・・・
そして、この橋の名前だが、何と「大門川橋」だった。
地理院地図に描かれている名前は違っていた事になる。
地理院地図に描かれている名前は違っていた事になる。
山梨県側に入った。
この右側から川の方に下りて行けそうだった。
この右側から川の方に下りて行けそうだった。
こんな場所を進む。
何となくシングルトラック的になっていたが、釣り人たちの通り道なのかも。
何となくシングルトラック的になっていたが、釣り人たちの通り道なのかも。
そして、大門川橋全景が見える位置まで降りてきた。
確かにコンクリートの下路アーチだった。
ちなみにこの橋の竣功は昭和30年代だという情報があるが、真偽のほどはわからない。
ちなみにこの橋の竣功は昭和30年代だという情報があるが、真偽のほどはわからない。
橋も堪能したので、山梨県側に進んでいこう。
(後編につづく)