【17年8月13日探索・11月28日公開】
現在地はここ
山梨県側に入った。ここから10kmが急カーブ多しの看板があるが、これは現在の道路に対するものではない。国道141号線に急カーブが特に多かったのは昭和50年代くらいまでの事だった。つまりはこの看板もその時代に設置されたものだろう。
ちなみに、ここから10km先は大門ダムのあたりだと思うのだが、現道を指しているのか旧道を指しているのかは不明だ。
ちなみに、ここから10km先は大門ダムのあたりだと思うのだが、現道を指しているのか旧道を指しているのかは不明だ。
センターラインがかつては引かれていたが、ほぼ完全に消えていた。
ちょうどこの右側には・・・
ちょうどこの右側には・・・
この標識が建っていた・・・いや、立てかかっていた。
急カーブはこの旧道では確かに多い。
このカーブ地点に設置されているカーブミラーの支柱には・・・
このカーブ地点に設置されているカーブミラーの支柱には・・・
山梨県の文字と、おそらくは昭和59年(1984)設置と思われる59の数字が見て取れた。
その先には謎の、ニセ一方通行標識があった。
この区間は当然だが、一方通行などではない。
この区間は当然だが、一方通行などではない。
この標識、というかたぶんこれは急カーブ注意の看板の類なのだろう。かつては黄色地に黒の矢印だったのかもしれない。
ちなみに支柱には山梨県の文字があり、設置者が県である事を主張していた。
ちなみに支柱には山梨県の文字があり、設置者が県である事を主張していた。
右から現道が近づいてきたのかと思ったら、これは道路ではなかった。
その正体はJR小海線だ。先ほど渡ったが、この区間では2回目の踏切があった。
第2甲州街道踏切だ。
その100mくらい先に現道との合流地点が見えている。
その100mくらい先に現道との合流地点が見えている。
現道が近づくにつれ道幅が少し広くなったような気がする。
右に標識がある。
右に標識がある。
その標識には踏切ありとこの先幅員縮小を示すものだった。
私が感じていた、少しずつ広くなっていたのはまさにこの標識が物語っている事だった。
私が感じていた、少しずつ広くなっていたのはまさにこの標識が物語っている事だった。
ここが合流地点になる。
現道は左側、そして私は右側の道を走ってきた。
現道は左側、そして私は右側の道を走ってきた。
(おわり)