【17年4月23日探索・11月24日公開】
現在地はここ
ここに隧道がある。田浦山隧道だ。銘板がなかったが、大正11年(1922)竣功・昭和52年(1977)改修であるようだ。
内部はこんな感じだ。
アーチ状支保工+半月のコルゲートパイプのようなもので巻立てられている。
横須賀市の隧道には他にもこんな施工があったような・・・
アーチ状支保工+半月のコルゲートパイプのようなもので巻立てられている。
横須賀市の隧道には他にもこんな施工があったような・・・
隧道を出た。正面と右に隧道があるが、車道は右側の大山田隧道(1999年3月竣功)に向かうが私は正面に向かう。
ここで振り返った。
当然、今抜けてきた田浦山隧道がある。
つまり、この場所は3方向に隧道が見える、隧道好きにはたまらない場所になっている。
当然、今抜けてきた田浦山隧道がある。
つまり、この場所は3方向に隧道が見える、隧道好きにはたまらない場所になっている。
では、正面に向かおう。
隧道坑口は塞がれており、人も通れないのはわかっているのだが、それでもここは見る価値がある。
隧道坑口は塞がれており、人も通れないのはわかっているのだが、それでもここは見る価値がある。
左側にあった階段、すごいな。
先ほど、けっこう年配に見えた方が登って行ったが、この上は住宅なのかな。
先ほど、けっこう年配に見えた方が登って行ったが、この上は住宅なのかな。
現在地はここ
目的の場所に着いた。
これが盛福寺管路隧道、大正7年(1918)ころ竣功の横須賀市水道局の管路隧道だ。
5重巻煉瓦アーチが重厚さを醸し出している。
これが盛福寺管路隧道、大正7年(1918)ころ竣功の横須賀市水道局の管路隧道だ。
5重巻煉瓦アーチが重厚さを醸し出している。
ちなみに、私は2年前にこの隧道の反対側は訪問済みだ。
内部を覗いてみよう。
ここ、大正11年から昭和3年頃までは歩行者は通行できたそうだ。
ここ、大正11年から昭和3年頃までは歩行者は通行できたそうだ。
先ほどの3方向隧道の場所に戻ってきた。
大山田隧道の脇に階段がある。気になったので登ってみる。
大山田隧道の脇に階段がある。気になったので登ってみる。
途中の左側にはこんな煉瓦造りの小屋があった。
これも水道関連のものなのだろうか?
これも水道関連のものなのだろうか?
そして、117段の階段を登った先にあったのはこんな祠だった。
田浦観音堂と呼ばれているようだ。
田浦観音堂と呼ばれているようだ。
その内部にはきちんと管理されているように見受けられる観音様が鎮座していた。
(おわり)