【17年7月23日探索・11月13日公開】
★本記事の画像にはレンズ汚れにより鮮明でないものがありますがご容赦ください★
現在地はここ
この城山第2隧道、反対側から見るだけだとこんなオチはわからない(注:私は山行がの記事によって事前に知っていたが)と思うが、ここはループによって高度を稼ぐための隧道なのであった。
もう少し引いてみた。
ループの真上が東名高速道路だというのも単なる偶然なのだろうか?
ループの真上が東名高速道路だというのも単なる偶然なのだろうか?
先に進もう。
東名高速の下部の通路の梁を利用した場所に標識があった。
ん・・・高さ制限2.6m?? さっきの隧道は2.8m制限だったぞ。
東名高速の下部の通路の梁を利用した場所に標識があった。
ん・・・高さ制限2.6m?? さっきの隧道は2.8m制限だったぞ。
20mほど進んだ。もう次の隧道が見え始めた。
ここで振り返り少し下を向くと・・・
ああ、夏場だったので雑草が多く今抜けてきた隧道の坑口が見えなかった事は残念だった。
ああ、夏場だったので雑草が多く今抜けてきた隧道の坑口が見えなかった事は残念だった。
30mほど進むともう隧道は目の前だった。
坑口の右側に何かあるようだ。
坑口の右側に何かあるようだ。
第一城山隧道と書かれた(盛られた)扁額代わりの石碑が設置されていた。隧道の坑口上部に補修の跡がある事から、かつては扁額だったものかもしれない。
静岡県知事 鵜澤憲と書かれているのだが、この人物は1931年(昭和6年)5月8日~12月18日の7ヵ月間だけ知事だった。
つまりこの隧道は昭和6年竣功であった可能性が高く、私が先ほど抜けてきた城山第2隧道も同じ頃の竣功であったと推定されたのだった。
ところで、なぜ県知事の名が刻まれているのだろうか?ここ、そんなに重要な道であったようにも見えないのだが・・・
静岡県知事 鵜澤憲と書かれているのだが、この人物は1931年(昭和6年)5月8日~12月18日の7ヵ月間だけ知事だった。
つまりこの隧道は昭和6年竣功であった可能性が高く、私が先ほど抜けてきた城山第2隧道も同じ頃の竣功であったと推定されたのだった。
ところで、なぜ県知事の名が刻まれているのだろうか?ここ、そんなに重要な道であったようにも見えないのだが・・・
先ほどの第2隧道とは造りも違う。
巻立てはコンクリブロックだ。ヒビがあるがまあ気にせず進もう。
巻立てはコンクリブロックだ。ヒビがあるがまあ気にせず進もう。
入洞した。
内部は上部と下部の施工が違う。上半分はコンクリブロック造り、おそらくは2重に巻き立てられているのだろう。
下部はコンクリート製であるようだが、あるいは後年の改修かもしれない。
内部は上部と下部の施工が違う。上半分はコンクリブロック造り、おそらくは2重に巻き立てられているのだろう。
下部はコンクリート製であるようだが、あるいは後年の改修かもしれない。
(後編につづく)