【13年6月23日探索・6月30日公開】
現在地はここ
全体図ではここ
林用軌道跡と思われる掘割が吉田胎内樹形の近くで見つかった。
この道を進んでいこう。
それにしても何か遺構的なものはないものだろうか・・・
この道を進んでいこう。
それにしても何か遺構的なものはないものだろうか・・・
そう思いながら進んでいると、道の両側に変化があった。
道の両側は沈んでいる、つまりは道部分だけが築堤のような造りになっている場所があったのだ。
こ、これは!!
当然、横から見てみる。
おお!!
これだけで林用軌道のものであるという断定はできないのだが、古い地図とも一致するし、状況的にも99%間違いないだろう。
これは進行方向左側の画像になる。
今回、私が探索用の机上調査に用いた地形図は5万分の1・昭和27年版山中湖と昭和21年版富士山だ。昭和30年代以降の次の版には軌道は描かれていない。
大正末期ごろに建設された馬車軌道だったが昭和24年ごろには廃止されていたようで、昭和27年版に描かれていた事は間違いということになろうか?
大正末期ごろに建設された馬車軌道だったが昭和24年ごろには廃止されていたようで、昭和27年版に描かれていた事は間違いということになろうか?
まあ、いずれにせよ廃止後60年以上経過しているはずの軌道遺構がまだ残っていた事が嬉しかった。
ようやく遺構らしい物件に出会え気をよくした私はさらに先に進む。
樹海独特の穴(これも樹形だと思うが)が沿道に沢山ある。
クマが寝ていないか、気になるがそのまま進む。
樹海独特の穴(これも樹形だと思うが)が沿道に沢山ある。
クマが寝ていないか、気になるがそのまま進む。
この左側などはコンクリで固めたのではないと思うので、岩を削ったものだろうか?
さらに進むとまた小さな築堤があった。
先ほどよりは小さな規模ではあるが、今度もちゃんとゲットしました。
また、これも利用者がいかほどかが不明ながら現役であろう事が好ましかった。
また、これも利用者がいかほどかが不明ながら現役であろう事が好ましかった。
時折、車の通る音が聞こえてはいたのだが、その音が大きくなってきた。
そして、先の方が明るくなってきた。
そして、先の方が明るくなってきた。
現在地はここ
1.5mくらいの壁面をよじ登ると、そこは予定通りではあったが、スバルライン料金所の所だった。
ここから2km以上先まで、軌道跡はスバルラインなどに呑まれているようでまったく痕跡は期待できないので、また大迂回する事になる。
ここから2km以上先まで、軌道跡はスバルラインなどに呑まれているようでまったく痕跡は期待できないので、また大迂回する事になる。
(その6へつづく)