【17年1月7日探索・7月5日公開】
現在地はここ
東京都八王子市山田町 この左側に用事がある。
そう、この細長い空間だ。
少しだけ高いところから見た。
この細長い空間は、京王御陵線跡だ。京王御陵線は昭和6年(1931)から昭和20年(1945)1月まで運行していた路線だ。
現在の高尾線から分岐するような線形になっている、この約200m区間だけは線路こそ残っていないものの、面影が残っている。
この細長い空間は、京王御陵線跡だ。京王御陵線は昭和6年(1931)から昭和20年(1945)1月まで運行していた路線だ。
現在の高尾線から分岐するような線形になっている、この約200m区間だけは線路こそ残っていないものの、面影が残っている。
左を見た。
何か境界柱のようなものがあるようだが・・・
何か境界柱のようなものがあるようだが・・・
京王帝都電鉄の境界柱であるようだ。
休止は昭和20年だが、廃止は昭和39年なので、いったんは戦時合併の大東急から分離独立した京王帝都電鉄のものになったのだろう。
現在も京王電鉄の所有か?
休止は昭和20年だが、廃止は昭和39年なので、いったんは戦時合併の大東急から分離独立した京王帝都電鉄のものになったのだろう。
現在も京王電鉄の所有か?
もう少し進んでいく。
現在地はここ
現在の高尾線線路だ。
御陵線はここから北野方面では現在の高尾線と一致しているようだ。
御陵線はここから北野方面では現在の高尾線と一致しているようだ。
ここでまた振り返ると・・・
畑の端っこには他にも京王帝都電鉄の社章入り境界柱があった。
そう言えば、だが、京王御陵線の痕跡といえば、8年前の探索があったな。おまけとして付けておこう。