【17年5月4日探索・6月23日公開】
現在地はここ
新芝坂トンネル(1995年3月竣工・延長283m)を抜け、反対側にやってきた。
立て看板が建っているが、ここには「七色橋」と書かれていた。七色橋はトンネル先の橋なのだが、橋の名は当時の楢葉小学校女平分校(トンネルの400mくらい手前にあったが、現在は廃校になっているようだった)の児童たちが付けたという説明板があった。
立て看板が建っているが、ここには「七色橋」と書かれていた。七色橋はトンネル先の橋なのだが、橋の名は当時の楢葉小学校女平分校(トンネルの400mくらい手前にあったが、現在は廃校になっているようだった)の児童たちが付けたという説明板があった。
そして当然、反対側にも旧道があるのだが、その分岐部はこんな感じになっている。
人工的に施工しなおしたエリアを進むと・・・
新芝坂トンネルの坑口のすぐ脇を通り・・・
芝坂隧道の坑口が見えた。
こちら側はバリケードは残っているものの、立入禁止表記は見当たらない。
こちら側はバリケードは残っているものの、立入禁止表記は見当たらない。
なので、もう少し進んでみる。
坑口の上には扁額がり、隧道の名が刻まれていた。
ところで、私がこの隧道を昭和20年代生まれなのでは?と予想した(昨日の記事中)のには、一応の理由がある。
昭和28年版と思われる今昔マップではこの隧道付近の林鉄は旧線と思われる場所を通っているのだが、その後隧道経由になったものと思われる。木戸川森林鉄道の廃止は昭和36年11月1日なので、昭和30年代に入って廃止間近に路線変更するよりは、地図が発行された頃(昭和28年版は応急修正版なので、林鉄の路線変更など無視されていた可能性もある)には路線変更がなされた可能性が高いと見ている。
坑口の上には扁額がり、隧道の名が刻まれていた。
ところで、私がこの隧道を昭和20年代生まれなのでは?と予想した(昨日の記事中)のには、一応の理由がある。
昭和28年版と思われる今昔マップではこの隧道付近の林鉄は旧線と思われる場所を通っているのだが、その後隧道経由になったものと思われる。木戸川森林鉄道の廃止は昭和36年11月1日なので、昭和30年代に入って廃止間近に路線変更するよりは、地図が発行された頃(昭和28年版は応急修正版なので、林鉄の路線変更など無視されていた可能性もある)には路線変更がなされた可能性が高いと見ている。
隧道内部だが、中央部分の約100mくらいは素掘(コンクリ吹付け?)だった。
さあ、どんどん進もう・・・いや、すぐにまたあった。
橋の名は親不知橋、平成8年7月竣工だ。
命名由来は、このあたりを越えるには親子も離れてしまうほどの切り立った崖が多かった事に由来しているそうだ。
命名由来は、このあたりを越えるには親子も離れてしまうほどの切り立った崖が多かった事に由来しているそうだ。
で、当然のように旧道があった。
この旧道こそが林鉄跡になっているようだ。
遠くに標識が見える。
遠くに標識が見える。
右カーブありだ。
その先、谷のいちばん奥の場所だ。
普通に、淡々とこんな場所を越えていた。
普通に、淡々とこんな場所を越えていた。
(その5へつづく)