【16年10月23日探索・17年3月14日公開】
現在地はここ
本日の記事は3年ちょっと前の記事と少しダブる部分がある。
山梨県大月市初狩町下初狩 中央本線宮川第一踏切だ。踏切なのだが、かつてのスイッチバックで引込線部分にあたり、まあ構内踏切といえよう。どうもかつては第4種踏切だったっぽいし。
山梨県大月市初狩町下初狩 中央本線宮川第一踏切だ。踏切なのだが、かつてのスイッチバックで引込線部分にあたり、まあ構内踏切といえよう。どうもかつては第4種踏切だったっぽいし。
で、その踏切から右の道をちょっと行くと・・・
見事な煉瓦カルバートがある。
初狩幹線水路のものであるのだが、その竣工についてはどこにも書かれていない。
ま、明治36年(1903)の中央本線開業時のものであろうかとは思うが・・・
初狩幹線水路のものであるのだが、その竣工についてはどこにも書かれていない。
ま、明治36年(1903)の中央本線開業時のものであろうかとは思うが・・・
分岐までもどり、左側の道を進む。
すると、以前には気付かなかったのだが、ここでも構造物発見!
すると、以前には気付かなかったのだが、ここでも構造物発見!
鉄道の橋台で間違いなかろう。
中央本線が単線時代のものだろうか?
中央本線が単線時代のものだろうか?
一応登ってみたが、特筆すべき光景は得られなかった。
その先、汽車が描かれている踏切注意標識が残るカルバート(荻島ガード)をくぐる。
現在地はここ
右側には踏切とまれの注意喚起看板が残っている。が、肝心の踏切は既になくなっていた。
左を見る。
この場所(宮川第二踏切跡)のすぐ手前までは線路が残っていた。
バラスト運搬の貨物列車が運行される際にはまだ使用されるらしいが・・・
この場所(宮川第二踏切跡)のすぐ手前までは線路が残っていた。
バラスト運搬の貨物列車が運行される際にはまだ使用されるらしいが・・・
右を見る。
踏み跡が目立つな。
踏み跡が目立つな。
・・・あ!
そう、レールはまだ残っていた。
雑草の影響で片側しか見えないが、ちゃんと両側とも残っていた。
雑草の影響で片側しか見えないが、ちゃんと両側とも残っていた。
廃線になったこの場所は、かつてのスイッチバックの突っ込み線にあたる線路であったようだ。
その先も状況は一緒だった。ちなみに廃線区間は約100mだ。
そしてその先で線路はぷっつりと終わっていた。
かつてはその先に、なんて事はなく、この場所には簡易な車止めがあったようだ。
かつてはその先に、なんて事はなく、この場所には簡易な車止めがあったようだ。