【16年9月25日探索・12月20日公開】
現在地はここ
県道250号線を左折する。
渡良瀬川を渡る。
先ほど遠望したラーメン橋だが、その名はどこにも書かれていなかった。
ちなみに、Wikipedia「渡良瀬川」には、ほとんどの橋名が記載されているが、この橋は名称不明となっている。
先ほど遠望したラーメン橋だが、その名はどこにも書かれていなかった。
ちなみに、Wikipedia「渡良瀬川」には、ほとんどの橋名が記載されているが、この橋は名称不明となっている。
上流方向を見た。
かつて銅山からの鉱害で汚染されていたとは俄かに信じられないくらい美しい流れだ。
かつて銅山からの鉱害で汚染されていたとは俄かに信じられないくらい美しい流れだ。
道路を進むとその先にこんな鉄道橋梁を思わす跨線橋がある。下はもちろん旧国鉄足尾線の廃線跡である。
下を覗くと、ちょうどトンネルに入る場所になっていた。
トンネルの名は向間藤トンネルというそうだ。
トンネルの名は向間藤トンネルというそうだ。
反対側、間藤駅方向も見た。
あれ、手前に何かあるぞ。
あれ、手前に何かあるぞ。
小屋が建っていた。何の小屋だろうか?
さらに道路を進む。
この先に架かる小さな橋だが、その名を学校橋という。
この先に架かる小さな橋だが、その名を学校橋という。
その橋の手前で右に上がる階段跡があった。
この上の平場には何があったのだろうか?
この上の平場には何があったのだろうか?
見るからに学校、なのだが、正確には学校跡(本山小学校)だった。
この右の方に行ってみよう。
この右の方に行ってみよう。
こんな立派な石畳を進んでいくと、左の方に石碑が建っていた。
ひとつは「足尾町立本山小学校創立百周年」の記念碑で平成4年に建てられたものだった。
そしてもう一つ建っていたのが、それからわずか12年半後、平成17年3月に訪れてしまった閉校の記念碑だった。
ここ足尾の栄枯盛衰がこんな事でも見て取れてしまう事は、何か複雑な心境ではあるな・・・
そしてもう一つ建っていたのが、それからわずか12年半後、平成17年3月に訪れてしまった閉校の記念碑だった。
ここ足尾の栄枯盛衰がこんな事でも見て取れてしまう事は、何か複雑な心境ではあるな・・・
(その3へつづく)