【16年2月7日探索・10月8日公開】
現在地はこの辺
その先、「戦車道路本線」上に気になるものがあった。
それは東京都の境界を示すものだった。
少し調べた限りでは元・戦車道路(現・尾根緑道)が東京都の所有であった時期は無い様だが・・・
ちょっとした謎だ。
少し調べた限りでは元・戦車道路(現・尾根緑道)が東京都の所有であった時期は無い様だが・・・
ちょっとした謎だ。
その先、南多摩斎場付近で公園内の道路ではなくなる。
それでも車道と歩道が分離された道が続く。
相変わらずその幅員は15mくらいはあり、かつて戦車が通った名残は感じられる。
相変わらずその幅員は15mくらいはあり、かつて戦車が通った名残は感じられる。
このカーブは8年前に通った記憶があるな。
しかし当時はこのあたりでなんとなく戦車道路を逸れていったような気がした。
しかし当時はこのあたりでなんとなく戦車道路を逸れていったような気がした。
現在地はここ
なので、この先は初めて通行する区間になる。
この交差点だが、直進が戦車道路本線で、右折はその支線であったそうだ。
この交差点だが、直進が戦車道路本線で、右折はその支線であったそうだ。
右折する支線はやや直線的で丘を下っていくようだ。
直線方向の本線部分は3つの道路に分かれる。左から廃道、歩道、1.7m幅員制限の車道となっている。
廃道部分も何か中途半端な印象が拭えない。
本来は整備計画でもあったのかもしれないな。
本来は整備計画でもあったのかもしれないな。
しばらくすると両側が車道、中央部のみが遊歩道という状態に変わった。
普通に道路を造れば片側2車線道路になろうか。
そんな幅員のままごく普通の住宅地を通り過ぎると・・・
そんな幅員のままごく普通の住宅地を通り過ぎると・・・
現在地はここ
本レポの終点、種入バス停の場所に着いた。
現地では軽いノリでこの場所を終点としてしまったが、帰宅後に地図を見直したら「戦車道路」自体はこの先さらに東方に1.5kmほど続いているのだった。
現地では軽いノリでこの場所を終点としてしまったが、帰宅後に地図を見直したら「戦車道路」自体はこの先さらに東方に1.5kmほど続いているのだった。
1枚前の画像の右側の車道の入口を改めて撮影した。
幅員制限1.7m、強引なポールなどはないが、3ナンバー乗用車も多い中で実際にどれだけ守られているのかは不明だ。
で、そのちょっと先・・・
幅員制限1.7m、強引なポールなどはないが、3ナンバー乗用車も多い中で実際にどれだけ守られているのかは不明だ。
で、そのちょっと先・・・
丸石の練積み石垣が印象的だった。
これ、実は密かに戦車道路時代の遺構だったりするのでは??
これ、実は密かに戦車道路時代の遺構だったりするのでは??
(おわり)