【16年5月1日探索・7月27日公開】
現在地はここ
ちょうど地図上のカーブ地点に出てきたようだ。
地図を見ると、下側(地図でいう左方向)は一本道であるようだし200m足らずで終わるように描かれているので、まずは下側に向かって行く。
地図を見ると、下側(地図でいう左方向)は一本道であるようだし200m足らずで終わるように描かれているので、まずは下側に向かって行く。
ところが、そこからわずか40mほどの場所で、いきなり地図に無い道が現れた。
しかもその分岐地点で崩落が発生しているようだった、
地図に無い道には少しばかり驚いたが、まずは矢印方向のように地図に沿って進んでいく事にした。
しかもその分岐地点で崩落が発生しているようだった、
地図に無い道には少しばかり驚いたが、まずは矢印方向のように地図に沿って進んでいく事にした。
道はかなり荒れているのだが、新緑がキモチイイ。
しかも、ここは人家や都道からも程近くだったので、クマが出る確率もそう高くないという安心感もあった。
しかも、ここは人家や都道からも程近くだったので、クマが出る確率もそう高くないという安心感もあった。
巨大石灰岩の壁が道路わきに現れた。
この場所は浅野セメント(現・太平洋セメント)の手で開かれた、元・石灰石の採石場である事を、ここに来る直前に檜原村立図書館で調べていたのだった。
どうも昭和36年(1961)6月から昭和54年(1979)まで稼働していたようだ。
さらに驚いたことには、それよりも前の大正末期~昭和初期には(別の採石場の関係か?)五日市からこの付近まで鉄道敷設の計画まであったようだ。
そんな、かつては夢のある地域だったのだ。
どうも昭和36年(1961)6月から昭和54年(1979)まで稼働していたようだ。
さらに驚いたことには、それよりも前の大正末期~昭和初期には(別の採石場の関係か?)五日市からこの付近まで鉄道敷設の計画まであったようだ。
そんな、かつては夢のある地域だったのだ。
巨大石灰岩の先で道には異変が起きた。
急に荒れてきた、というか、道など無くなってしまったようだった。
現在地はこの辺
まあ地図にもそのように描かれていたのだから仕方ないのだが、沢なのか何なのかよくわからない状態にあったのでこの辺で撤収しよう。
ちなみに、さらに無理に突き進んだら、都道205号線側のこの場所(檜原小学校北側)に出るはずだ。
現在地はここ
2枚目画像の場所まで戻ってきた。
2枚目画像では黄色矢印のように進んだが、今度は下から赤矢印の方に進む。
2枚目画像では黄色矢印のように進んだが、今度は下から赤矢印の方に進む。
こんな峠部分を回り込むと・・・
意外な事に、かなり広い空間があったのだった。
平場があった。
かつては何らかの施設があったのかもしれないが、何があったのかはわからなかった。
かつては何らかの施設があったのかもしれないが、何があったのかはわからなかった。
地図に描かれている道に戻る途中、こんな看板を見つけた。
現在、この一帯は立入禁止ではないようだ。
現在、この一帯は立入禁止ではないようだ。
(その3へつづく)