【16年4月24日探索・7月25日公開】
現在地はこの辺
昨日の記事の分岐地点まで戻ってきた。
そして、今度は本来の遊歩道を行く・・・のだが、右側、絶対に何かあるよね。
そして、今度は本来の遊歩道を行く・・・のだが、右側、絶対に何かあるよね。
遊歩道その先50mくらいで終点になるようだった。
終点部分から対岸を見ると、木々ではっきりとは見えないのが少し残念だが、柱状節理の岩がそびえているのがわかった。この柱状節理は大室山が約4000年前に噴火したときの溶岩流が固まって出来たものだそうだ。
で、今度は同じ場所で振り返る。
ちょっと画像だけ見てもわかりにくいと思うが、結論から言ってしまえば水路の水がオーバーフローした際、水をこの伊東大川に流すエスケープ吐水口という事になる。
ちょっと画像だけ見てもわかりにくいと思うが、結論から言ってしまえば水路の水がオーバーフローした際、水をこの伊東大川に流すエスケープ吐水口という事になる。
で、その脇から水路に降りる。
水路はこんな感じだ。石造りのこんな水路は絶対に戦後のものではない事はすぐにわかったのだが、何の水路なのかこの時点ではまだわからなかった。
それより、この水路、意外と深いんだが、帰り、登れるかな・・・
それより、この水路、意外と深いんだが、帰り、登れるかな・・・
少し上流側に進み、振り返った。
この下の部分が本来の水路で、上になってしまった水がオーバーフロー水となり、伊東大川に戻される。
さらに上流方向に行くと、やっぱり、隧道があった!!
これは地味だがなかなか良い造りだ。
幅2m、高さ2.3mといったところか。
幅2m、高さ2.3mといったところか。
内部はこんな感じだ。
これはフラッシュ撮影だが、坑口近くは少なくとも石造りになっていた。
その先は・・・素掘にも見える。
その先は・・・素掘にも見える。
ところで、前編で見つけた謎の施設跡だが、この隧道に関連するものである可能性が高くなった。
石造りが途切れたあたりのちょうど上が、謎施設の場所とほぼ一致しそうだった。
石造りが途切れたあたりのちょうど上が、謎施設の場所とほぼ一致しそうだった。
水路から這い上がった私の目の前には水神様が鎮座していた。
この設置者などの情報があれば、この水路の正体がつかめそうだ。
この設置者などの情報があれば、この水路の正体がつかめそうだ。
「伊東水電建」と読めた。
「伊東水力発電」という会社は、明治31年(1898)に設立され、発電事業は明治37(1904)年に開始したと、伊東市史に記述があった。
現在、この伊東大川の下流約500mの場所にある八代田変電所の場所には、かつて伊東水電の水力発電所があった事は調べがついたので、水路はその水力発電のためのものであろう。
ただ、この水路が明治後半に出来ていたのか、大正時代のものなのかは、現在のところ不明だ。
(おわり)