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茨城県つくば市 千寺川砂防堰堤群

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【16年2月21日探索・7月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_0_m?1468854921

現在地はここ

茨城県つくば市筑波 筑波山のハイキングコースの「白雲橋コース」だ。
この先に何かあるのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_1_m?1468854921

白蛇弁天という看板があった。
金運アップやパワースポットとしても知られているようだ。

ところで、私の目的地はここではない。この裏手を入っていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_2_m?1468854921

この左側も目的の構造物の一部なのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_3_m?1468854921

この周辺ではかなりの数の画像を撮影したのだが、改めて確認してみたところ、使える画像は本当に少なかった。
これは千寺川砂防堰堤群のうちの上流から数えて15番目くらいの堰堤になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_4_m?1468854921

これはその一つ上流のものだ。
画像撮影にはかなり苦戦してしまったので、場所を移動しよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_5_m?1468854921

現在地はここ

ハイキングコースを下って、筑波山神社のすぐ近くにそれはあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_6_m?1468854921

ここは千寺川砂防堰堤群のうち最下流のものになる。

千寺川砂防堰堤群は昭和13年(1938)の豪雨による土砂災害を受け、昭和14年~昭和18年にかけて造られた、茨城県内初の本格砂防事業だそうだ。
ちなみに、この石積タイプの堰堤が全部で24基あるようだ。平成23年度土木学会選奨土木遺産に認定されている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_7_m?1468854921

近づいてみよう。

ようやく邪魔の入らない画像が撮れた。
石垣はこの時代のものだからモルタル使用だよな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_8_m?1468854921

反対側だ。
普段はまあこんな水量なのだろうが、豪雨時にはすさまじいのだろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_9_m?1468854921

ちなみに少し上流を覗いてみたが、2番目の堰堤は見えなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_10_m?1468854921

探索は終了、せっかくだから筑波山神社の山門(随神門(ずいしんもん)、文化8年(1811)に再建)でもどうぞ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/55442340/img_11_m?1468854921

もう一箇所、筑波山神社の神橋だ。屋根付の見事な太鼓橋だ。

この橋、寛永10年(1633)の3代将軍徳川家光による寄進とされ、元禄15年(1702)に5代将軍徳川綱吉により改修されていると書かれていたが、その後の改修はどうなのだろう。ちなみに、年間で4日間だけ、渡橋が許されると書いてあった。

  

  

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