【16年5月22日探索・7月8日公開】
トンネルの記念碑にも、私が欲しかった情報は書かれていなかった。
少しうらめしそうに正丸トンネルを眺めた。
そう言えば今更だが、昭和57年竣工の車社会になってから竣工しているトンネルなのに、なぜまともな歩道を設置しなかったのだろうか??
少しうらめしそうに正丸トンネルを眺めた。
そう言えば今更だが、昭和57年竣工の車社会になってから竣工しているトンネルなのに、なぜまともな歩道を設置しなかったのだろうか??
現在地はここ
道はすぐに横瀬川を渡る。
車道スペックなのかどうかも疑わしい橋が架かっていたが、その橋に関する情報は皆無だった。
車道スペックなのかどうかも疑わしい橋が架かっていたが、その橋に関する情報は皆無だった。
橋を渡ると50m先行き止まりという看板があった。
その設置者は不明だったが、その先のカーブ地点に設置されていた街灯は横瀬町のものだった。
というワケで、ここも違うようだ。
その設置者は不明だったが、その先のカーブ地点に設置されていた街灯は横瀬町のものだった。
というワケで、ここも違うようだ。
yahoo地図には道は描かれていないがまだ先に延びていた。
しかし、50mも進むと、予告通りの立入禁止表示があった。
なので、この道も撤収!
なので、この道も撤収!
現在地はここ
この手前に怪しげな空地があったが、それは帰りに寄ってみようと思う。
3箇所目、疑いを持ったのはここから始まる林道だった。
林道南沢線、横瀬町管理の林道だ。
3箇所目、疑いを持ったのはここから始まる林道だった。
林道南沢線、横瀬町管理の林道だ。
林道に入ってすぐに3軒ほどの家屋があった。
が、この先には家屋は見当たらなかった。
が、この先には家屋は見当たらなかった。
橋が架かっていた。橋の手前には看板があった。看板の内容は林道のため駐車禁止という事だった。
そして橋の方だが、名は南沢橋、昭和47年12月の竣工だった。
・・・すると、この道は正丸トンネルルート選定時には既にあった道という事になる。
・・・すると、この道は正丸トンネルルート選定時には既にあった道という事になる。
そんな、正丸トンネルと何か関係があるかもしれない林道はハイキングコースにもなっていた。
残っている道標(たぶん)だが、この文字だけで何と刻まれていたのかの推測は難しい。
その近くのクスの木(だったかな・みけねこさんからミツバカエデであろうとご指摘を頂きました)の根元にはさらに前の時代の道標があった。
つまり、ここまでの区間は歴史ある道だという事はわかった。
つまり、ここまでの区間は歴史ある道だという事はわかった。
しかし私の探索目的は、正丸トンネルの別ルート選定についての痕跡探しなのだ。ここでもまた敗北なのか??
(その5・最終回につづく)