【16年5月3日探索・6月19日公開】
現在地はここ
大久保沢、林鉄をずっと延伸している中で、この沢の谷が一番深かった事から大窪沢→大久保沢という名になったそうな。
そんな大久保沢のハイキングコース上には19号橋という下路トラス橋が架かっているのだが、地図で見ると線形が不自然だった。そして現地で確認したところ、やはり現在のコースは短絡されたもので旧道があるようだ(左岸)。
そんな大久保沢のハイキングコース上には19号橋という下路トラス橋が架かっているのだが、地図で見ると線形が不自然だった。そして現地で確認したところ、やはり現在のコースは短絡されたもので旧道があるようだ(左岸)。
ちなみに右岸の光景はこれだ。
これはモロだな・・・
これはモロだな・・・
ここには進入禁止という表記が見当たらなかったので、心おきなく旧道に入っていく。
旧道はやはり廃線跡でもあった。
そして50mくらい谷を入っていった先に廃橋が架かっているのが見えた。
この廃橋はハイキングコースとしての旧道のものだろう。
そして、その隣にあったものが・・・
この廃橋はハイキングコースとしての旧道のものだろう。
そして、その隣にあったものが・・・
コンクリ構造物だが、どう見ても林鉄の橋の橋台という事で間違いないと思う。
ハイキングコース本線に戻る。
先ほどのようにコースを逸脱しなくても、普通にハイキングコースを歩いていてもこんなレールが見られる。
先ほどのようにコースを逸脱しなくても、普通にハイキングコースを歩いていてもこんなレールが見られる。
空積の石垣、やっぱり好きだな~
その先には意外と少ない2本のレールが路面に残っている区間があった。
路肩注意の看板が設置されていたが、ここの場合、もっと注意しなければならないものがあるような・・・
先の方に何かがある。
展示用のトロッコが設置されていて、解説板もあった。
この手前(塩山駅寄り)部分も含めて言えば、昭和8年~昭和43年まであった軌道であり、運搬物は木材、鉱石、珪石の他、民間の炭、薪、繭、米など多岐に渡っていたという説明が書かれていた。
この手前(塩山駅寄り)部分も含めて言えば、昭和8年~昭和43年まであった軌道であり、運搬物は木材、鉱石、珪石の他、民間の炭、薪、繭、米など多岐に渡っていたという説明が書かれていた。
(その8へつづく)