【13年9月22日探索・11月18日公開】
現在地はここ
さて、ここの旧道は左側になるが、この先400mくらいの区間には特筆すべき場所はなかったので割愛する。
それでもここをレポ開始地点にしたのは、現道がいつごろ造られ、旧道はいつから旧道になったのかを調べるために、この先の現道に建つ照明灯の年代を見たかったからだ。
それでもここをレポ開始地点にしたのは、現道がいつごろ造られ、旧道はいつから旧道になったのかを調べるために、この先の現道に建つ照明灯の年代を見たかったからだ。
照明灯の形状は埼玉県道の標準タイプのようだが・・・
プレートは付いていた。
が・・・
が・・・
平成62年だって!!何だよ、この年代は?
おそらくは昭和62年に設置されたが後年になって何かの理由でプレートを再度付けた。ただその時点では平成の文字が刻まれているものしかなく、細かいことはきにせずこうなった・・・実際それ以外説明がつかない。
もしも設置時にこうなっていたら・・・新しい都市伝説でもできそうだ。
もしも設置時にこうなっていたら・・・新しい都市伝説でもできそうだ。
現在地はここ
さて、有名な畑トンネルを擁する旧道はここから入る。
入口で出迎えてくれたのは「車両通行止」の看板2枚だった。
このあたりは廃道ではないので、主要地方道の任を解かれホッとした感の旧道の雰囲気がある。
右側には埼玉県の境界柱が残っていた。
右側には埼玉県の境界柱が残っていた。
この看板、5年前に訪問した際にも見た記憶があった。
今ではごく限られた人しか目にしない、青看である。
ところで、これの設置年代は?
ところで、これの設置年代は?
昭和61年1月だった。
ここで、私は重要な情報があった事に気付いた。
それは「19」の数字だった。
都県道青梅飯能線は平成初期頃に改番されていたようだ。これはノーマークだった。
そうであれば、先ほどの平成62年のプレートについても説明が付く。
都県道青梅飯能線は平成初期頃に改番されていたようだ。これはノーマークだった。
そうであれば、先ほどの平成62年のプレートについても説明が付く。
右に1軒の民家があるがその先にゲートが見える。
現役道路側にある30kmの速度制限標識も廃オーラを放っていた。
車両通行止ゲートは右脇がノーガード状態で、二輪車以下なら物理的には通行可能だ。
車両通行止ゲートは右脇がノーガード状態で、二輪車以下なら物理的には通行可能だ。
私は、ヘリオス号を降り、押しに入ったので「歩行者」として堂々と進入する。
5年の間に、明らかに熟成が進んだようだ。
この先、どうなっているかなあ・・・
この先、どうなっているかなあ・・・
(その2へつづく)