【16年5月4日探索・5月28日公開】
現在地はここ
埼玉県朝霞市幸町 この地に「幻の大仏」があった事はご存知だろうか?
その名を朝霞大仏という。東武鉄道創業者の根津嘉一郎(初代)により、昭和8年から建設が始まり昭和12年までに大仏の基礎にあたる蓮台や大梵鐘、大仏原型が完成した。完成すれば奈良の大仏には及ばないものの鎌倉大仏よりも大きな大仏になる予定だった。しかし、根津氏の死去と戦乱の拡大により実現しなかった。
その名を朝霞大仏という。東武鉄道創業者の根津嘉一郎(初代)により、昭和8年から建設が始まり昭和12年までに大仏の基礎にあたる蓮台や大梵鐘、大仏原型が完成した。完成すれば奈良の大仏には及ばないものの鎌倉大仏よりも大きな大仏になる予定だった。しかし、根津氏の死去と戦乱の拡大により実現しなかった。
簡単に書けばこんな感じになるのだが、今日はそんな幻の大仏の参道を歩いてみよう。
この道は県道109号新座和光線で、かつての川越街道である。
参道はここを左折するところから始まる。
この道は県道109号新座和光線で、かつての川越街道である。
参道はここを左折するところから始まる。
右は朝霞警察署、正面80m先くらいには現在の川越街道・国道254号線が見える。
・・・まあ、参道と言っても大仏自体完成しなかったワケだし、そんな雰囲気なんてなかなか・・・
いや、あながち無い事もなかった。
ここは何かの商店(現在営業中かどうか不明)なのだろう。
牛乳屋にも見えるが、個人的には団子屋の雰囲気を感じた。
ここで、団子をほおばる人がいたら、参道っぽさが一気に出るのだが・・・
牛乳屋にも見えるが、個人的には団子屋の雰囲気を感じた。
ここで、団子をほおばる人がいたら、参道っぽさが一気に出るのだが・・・
現在の川越街道を横断し、再び参道を進む。
右側の「消防用空地」を示す標識、横断歩道ありか何かの流用っぽいな・・・
右側の「消防用空地」を示す標識、横断歩道ありか何かの流用っぽいな・・・
左の巨大な構造物は大仏とは関係なく、東京都水道局の調圧水槽だ。
左から道が合流するが、左の道は昔の地図には描かれていない。比較的最近の道路のようだ。
そういえば、何となくだが参道っぽい雰囲気はあるような・・・
その合流地点には「この先行き止まり」の案内看板が設置されていた。
路面の3分の1ほどが未舗装になっている。
これについては調べていないが、3分の1部分は私有地なんだろうと思う。
これについては調べていないが、3分の1部分は私有地なんだろうと思う。
ちなみに、左の建物だが、朝霞第四小学校跡だ。
閉校になったのではなく、移転している。通学に交通量が多い川越街道の横断があったためだろうか?
閉校になったのではなく、移転している。通学に交通量が多い川越街道の横断があったためだろうか?
現在地はここ
道路は突き当たる。
右側は武蔵大学の運動場がある。ちなみに、武蔵大学は根津嘉一郎(初代)が創立した旧制武蔵高校が前身であり、この土地は根津の遺言により旧制武蔵高校のものとなったが、その後陸軍により強制買収され、戦後に武蔵大学が買い戻したようだ。
正面はこれ以上進めない。
この先あたりで、大梵鐘や大仏の鋳造が行われていたそうだが・・・
左側を見た。
旧・朝霞4小の建物の南側、このあたりが大仏建立予定地だったようだ。
大和町(現・和光市)から大仏支線の構想もあったというから、もし朝霞大仏が完成していれば、朝霞の町もまた違った雰囲気になったのだろう。
大和町(現・和光市)から大仏支線の構想もあったというから、もし朝霞大仏が完成していれば、朝霞の町もまた違った雰囲気になったのだろう。
朝霞大仏についてはいくつか詳細なサイトがあるがこちらのサイトが最も画像が多く詳しく述べられていると思うので、興味のある方はどうぞ。