【15年12月19日探索・16年2月28日公開】
現在地はたぶんこの辺
鮮明とは言えない状態で残っていたインクライン跡を下っていく。
インクライン横にあった石の列は何だろう?
その延長上には石垣の擁壁っぽい構造物があった。
このあたりから下り勾配がほぼ無くなった。
インクラインの下側終点はこのあたりなのだろう。
インクラインの下側終点はこのあたりなのだろう。
この通路は少し広い。
何かしらの車両が通行したのだろう。
何かしらの車両が通行したのだろう。
一つ上の画像を少し進むと通路はカーブを描き下りに入った。
その1段下の場所への移動の途中だ。石の人工物があるが、何だろうか?
その1段下の場所への移動の途中だ。石の人工物があるが、何だろうか?
そこからまた少し進む。1段下の平地だ。
まず、左側の石垣が気になる。
まず、左側の石垣が気になる。
これもまた何か大がかりな運搬施設があったものと思う。
この鉱山は「秩父鉱業皆谷鉱業所」という名だったようだ。
そしてその閉山は昭和42年(1967)だったらしい。
この鉱山は「秩父鉱業皆谷鉱業所」という名だったようだ。
そしてその閉山は昭和42年(1967)だったらしい。
近くには何かの台座らしき遺構もあった。
いったん下の方に目線を移した。
画像ではわかりにくいが、県道11号線が見える位置まで近づいており、時折通過する車が見て取れた。
画像ではわかりにくいが、県道11号線が見える位置まで近づいており、時折通過する車が見て取れた。
遺構に戻ろう。
こんな形状のものとか。
こんなものがあった。
これは、索道が県道~インクラインそばまであったと考えるのが自然だろうか。
(その5へつづく)