【15年12月6日探索・16年2月24日公開】
現在地はここ
地図で言えば8時の方角に進む。
ここも一部供用されているものの、未成道でもある。
沼津市のサイトを見ると、市道沼津南一色線は歩道も含めると25mもの幅員を持つ道路になる予定だそうな。
沼津市のサイトを見ると、市道沼津南一色線は歩道も含めると25mもの幅員を持つ道路になる予定だそうな。
その先の交差点に出た。
ここにもまた不自然な空間がある。当然、未成道に起因するものだろう。
ここにもまた不自然な空間がある。当然、未成道に起因するものだろう。
そしてその先は未成道路がはっきりとその姿を現す。
未成道路の右側に出た。
何になる予定のものだろうか?
完成した際には歩道が絡むものだろうか?
完成した際には歩道が絡むものだろうか?
現在地はここ
未成道路をくぐるカルバートがあった。
気になったのは、最近の造りのはずなのに高さ制限2.8mになっているのと、カルバート内部に照明が点いていない事だった。
カルバートは未成でも、この下の道は普通に車も人も通行している。
気になったのは、最近の造りのはずなのに高さ制限2.8mになっているのと、カルバート内部に照明が点いていない事だった。
カルバートは未成でも、この下の道は普通に車も人も通行している。
東海道新幹線をくぐるあたりで・・・
右を見た。
未成道路もまた新幹線をくぐるのだが、その施設は出来ているようだった。
未成道路もまた新幹線をくぐるのだが、その施設は出来ているようだった。
現在地はここ
立入禁止看板があった。
こちらは北側、つまり今通ってきた未成区間だ。
完成したら、国道になるかもしれないので、ホントに広いな。
完成したら、国道になるかもしれないので、ホントに広いな。
そしてこちらが道路を挟んでの南側だ。
道路工事、の雰囲気ではないようだ。
道路工事、の雰囲気ではないようだ。
封鎖のバリケードの名は沼津市教育委員会だ。
ここ、高尾山古墳と言う前方後円墳が発見された場所だった。
高尾山古墳は、古墳時代最初期の西暦230年頃(邪馬台国の時期)の築造と推定され、築造当時の東日本では最大級の古墳であるとwikipediaに書いてあった。
高尾山古墳は、古墳時代最初期の西暦230年頃(邪馬台国の時期)の築造と推定され、築造当時の東日本では最大級の古墳であるとwikipediaに書いてあった。
そう、そんな貴重な古墳が見つかったために道路工事がストップしたのだった。
未成区間はこれにて終了、終点方向に向かう。
現在地はここ
左のトラックが見える道が市道沼津南一色線だ。
県道22号に入り、熊野神社入口に来た。
県道22号に入り、熊野神社入口に来た。
その神社境内からも未成道路の古墳発掘中の雰囲気が見える、のだが、何かが進んでいるようには見えない。
それは、沼津市長が打ち出した「古墳の保存と道路建設の両立に向けた施策」が検討されているためだった。
画期的な案が出て、めでたしという結果になればよいのだが・・・
いずれにせよ、まだこの未成道路は膠着状態が続きそうだ。
それは、沼津市長が打ち出した「古墳の保存と道路建設の両立に向けた施策」が検討されているためだった。
画期的な案が出て、めでたしという結果になればよいのだが・・・
いずれにせよ、まだこの未成道路は膠着状態が続きそうだ。
(おわり)