【15年11月22日探索・12月18日公開】
現在地はここ
埼玉県秩父市上吉田 県道71号高崎神流秩父線から1本入った秩父市道だ。
本日から4回にわたる連載記事は、タイトルからも推測がつくかと思うがこの記事の続編にあたる。
前回、参道の途中で引き返したのだが、ウェブ上での情報がほぼ皆無な「赤岩観音」が一体どのような場所だったのかが気になっていたための再訪だった。
最初にタネ明かしをしてしまった感があるが、今回の記事ではその構造物がどのような謂れのあるものだったのかが最も重要だと思っているので、あえて訪問目的などを先に示した。
最初にタネ明かしをしてしまった感があるが、今回の記事ではその構造物がどのような謂れのあるものだったのかが最も重要だと思っているので、あえて訪問目的などを先に示した。
そんなワケでこの先を左折し吉田町(2005年合併以前の旧自治体)の境界柱のある坂道を下る。
吉田川に架かる流れ橋と、その先の流れ橋を渡る。
思えば、前回、画像左側の流れ橋を渡り先に進んだという道間違いをしなかたっら、赤岩観音の名前を知らなかったのだろう。奇妙な縁ではある。
この石垣も相当古い可能性が高まった。
最終目的地と同時代のものであるなら明治時代よりも前の施工という事になる。
最終目的地と同時代のものであるなら明治時代よりも前の施工という事になる。
約50mに渡った石垣だが、その終端付近にお地蔵様が安置してあった。
この手前約100m付近にもお地蔵様がいたのだが、観音参道のものかどうかは不明だ。
この手前約100m付近にもお地蔵様がいたのだが、観音参道のものかどうかは不明だ。
前回も見た「赤岩観音→」の看板だ。
2つ目(3つ目?)のお地蔵様があった。
ここまでは流れ橋の場所から6分、この場所が前回撤収地点だ。
ここまでは流れ橋の場所から6分、この場所が前回撤収地点だ。
その先、シングルトラックの道はしっかりしていそうだったが、倒木があった。
しかも多数!
歩行者がこれを乗り越えるのはさほど難しい事ではないと思うが、それよりもこの道の現代の通行量が心配になった。
先ほどまでは立派な石垣がありこの道が頼もしく感じられたものだが、ここへ来てのこの橋などはかなりキテイルと言わざるを得ない。
倒木に気をとられるとふと忘れそうだが、よく見ると道が対岸に続いている。
じゃあ、川を渡るための橋がない事になる。
じゃあ、川を渡るための橋がない事になる。
い、いや。手前のアレ・・・
丸太が1本架かっていたのだが、おそらくはこれが橋だったものと思われる。
手前の「橋台」部分をよく見ると左側のスペースが開いている気がする。
元は2本の丸太橋だったのだろうか?
手前の「橋台」部分をよく見ると左側のスペースが開いている気がする。
元は2本の丸太橋だったのだろうか?
(その2へつづく)