【15年3月29日探索・7月6日公開】
現在地はここ
河原子小学校北側にあったはずの踏切跡だ。
ここはレールの露出がなかったが、うっすらとその跡が残っている。
レールごと埋められた?
ここはレールの露出がなかったが、うっすらとその跡が残っている。
レールごと埋められた?
ここからまた廃線探索を再開しよう。
この区間はシングルトラックの踏み跡がかなりはっきりとしており、通行する事が
黙認されているようだった。
黙認されているようだった。
そしてその先の踏切跡には・・・
レールが残っていた。
そしてそのすぐ北側では小さな川を渡っていた。
かつての橋梁は撤去済だ。
河原子から鮎川までの区間はBRT工事がいずれ始まるとは思うが第3期工事なので
まだしばらくはこのまま放置されそうだ。
かつての橋梁は撤去済だ。
河原子から鮎川までの区間はBRT工事がいずれ始まるとは思うが第3期工事なので
まだしばらくはこのまま放置されそうだ。
線路跡がやたら広い気がするが何かあった場所だろうか?
そのま国道245号線と並行して廃線跡が延びていた。
境界柱があるが、それには日立電鉄の社章が刻まれていた。
境界柱があるが、それには日立電鉄の社章が刻まれていた。
現在地はここ
日立製作所関連の企業の敷地の脇、廃線跡だと思っていた場所をずっと進んでいた。
ここで左を見ると・・・
あれ?!
微妙にずれていたんじゃん!
微妙にずれていたんじゃん!
いつの間にか5mほど線路跡がずれていたのだが、それにはまったく気づかなかった。
改めて、小さな踏切があった場所から、鮎川方向を望む。
また広い道を横切る。そしてここが・・・
現在地はここ
何も無い更地だが、ここが桜川駅があった場所になる。
近くにバス停があったが「桜川」ではなく、「多賀病院入口」だった。
近くにバス停があったが「桜川」ではなく、「多賀病院入口」だった。
桜の大木だけは鉄道があった時と同様に花を咲かせているのだろう。
現役時の光景はこちらのサイトでどうぞ。
その先、国道245号線31kmらしいキロポストがあった。
三角でコンクリ製って初めて見たな・・・
三角でコンクリ製って初めて見たな・・・
(その6・最終回へつづく)