【14年7月13日探索・9月11日公開】
現在地はここ
激藪の先は静寂の旧道が待っていた。
すぐそこを旅人が歩いているような錯覚に陥るような雰囲気だ。
すぐそこを旅人が歩いているような錯覚に陥るような雰囲気だ。
御岳山の石碑も、ひっそり。
たぶん久々の来訪者ではないだろうか。
たぶん久々の来訪者ではないだろうか。
これが一の鳥居だ。
明治19年以前、この旧道が出来る前はここから7、8m上の旧旧道上にあったそうだ。
明治19年以前、この旧道が出来る前はここから7、8m上の旧旧道上にあったそうだ。
このあたりの旧道はとても良い雰囲気なのだが・・・
現道のトンネルを巻くようにする線形に旧道は付け替えられたようだが、この先の日が当たる区間は激藪でとても進めるような状態ではなかった。
じゃあ、撤収前にせめて・・・
3枚上の画像の鳥居が明治19年以前に建っていたと思われる、7、8m上に存在する旧道はおそらくこれだろうと思う。
一応切通しがあるが、その先は獣道状態だった。
3枚上の画像の鳥居が明治19年以前に建っていたと思われる、7、8m上に存在する旧道はおそらくこれだろうと思う。
一応切通しがあるが、その先は獣道状態だった。
現在地はここ
それではスタート地点に戻って、今度はもう1箇所の気になった場所へと向かう。
今度は都道の反対側にその入り口がある。
今度は都道の反対側にその入り口がある。
ここがそうなのだが・・・
何だか道路の分岐のような場所だ。
何だか道路の分岐のような場所だ。
現在地はここ
すぐ上は都道45号線だ。
都道に沿って多摩川べりに道路としか思えない平場が延びている。
都道に沿って多摩川べりに道路としか思えない平場が延びている。
線形的にはどう見たって道路なのだが、ここに道路が造られる理由がないのだ。
現・都道は2車線幅の近代的なトンネルでこの先の丘陵部分を抜けており、わざわざ多摩川べりの断崖に好き好んで新道は造らないはずだ。
では、現・都道が開通する前のパイロット道?・・・にしては(現道の開通は昭和27年)状態が良好すぎる。
たまたま道路のような形になった資材置き場?・・・見る限りそのようには活用されていないようだが。
現・都道は2車線幅の近代的なトンネルでこの先の丘陵部分を抜けており、わざわざ多摩川べりの断崖に好き好んで新道は造らないはずだ。
では、現・都道が開通する前のパイロット道?・・・にしては(現道の開通は昭和27年)状態が良好すぎる。
たまたま道路のような形になった資材置き場?・・・見る限りそのようには活用されていないようだが。
国土変遷アーカイブの航空写真を見る限り、1974年時点で、この「疑惑の道路」があるようにも見えるが、判然としない。
そんな謎の「疑惑の道路」は100m強で終わる。
少なくとも夏場においてはそう見えた。
少なくとも夏場においてはそう見えた。
この場所についてご存知の方がおられたら、教えてくださ~い!!
(おわり)