【14年2月23日探索・6月18日公開】
現在地はここ
首都高横羽線をくぐり、羽田2丁目に入った。
すると、赤煉瓦、復活。
すると、赤煉瓦、復活。
あと、何か石碑が建っているが・・・
石碑は「羽田の渡し」跡を示すものだった。
多摩川をこの場所で渡る渡し舟は、川崎大師の参詣客でにぎわったそうな。
昭和14年、先代になる大師橋が架けられて渡し舟の役目は終わったようだ。
多摩川をこの場所で渡る渡し舟は、川崎大師の参詣客でにぎわったそうな。
昭和14年、先代になる大師橋が架けられて渡し舟の役目は終わったようだ。
このあたりはかなり低い、というか上部しか残存していないが・・・
その少し先の区間は一番の圧巻で、約100mもの煉瓦堤防が残っているのだった。
しかもこの区間はほぼ完全に近く、下部までがちゃんと保存されているのだった。
一番長い区間をもって、戦前の赤煉瓦堤防は終了となった。
ここからこの場所へと移動したのだが、その途中で見かけた猫画像がおまけになる。
茶トラ白、私の好きな模様の猫だが、顔を見せてはもらえなかった。
つか、モ、モザイクが必要だったかも(笑)。
つか、モ、モザイクが必要だったかも(笑)。
こちらはキジトラ君。
呼んだら「何だよう」という感じで振り返ってくれた。
呼んだら「何だよう」という感じで振り返ってくれた。
(おわり)