【14年5月10日探索・6月12日公開】
東京都西多摩郡日の出町大久野 東京都道31号青梅あきる野線・通称秋川街道だ。
私が現在いる場所から二ツ塚峠手前まで道が二手に分かれている。北のほうから少し回りこんでいる道が現在の都道なのだが、実はその旧道が世紀東急工業の前を通る道なのだ。
私が現在いる場所から二ツ塚峠手前まで道が二手に分かれている。北のほうから少し回りこんでいる道が現在の都道なのだが、実はその旧道が世紀東急工業の前を通る道なのだ。
さらに世紀東急工業の先、二ツ塚峠手前の区間の道が地図を見る限り、怪しげだ。
これは、確かめてみたくなった。
これは、確かめてみたくなった。
そんな訳でこの、わざとらしく分岐させられた旧道区間へと進む。
前の画像でお断りするのを忘れたが、最初から6枚目までの画像は色合いがわざとらしい。
これは私のカメラの撮影モードが「ポップモード」になっていたのを気づかなかったためだ。
少々御見苦しいがご容赦頂きたい。
これは私のカメラの撮影モードが「ポップモード」になっていたのを気づかなかったためだ。
少々御見苦しいがご容赦頂きたい。
カルバート探索のきっかけになったのがかすがさんの記事だったのだが、ごく最近のかすがさんの記事でもここを含む都道旧道の事が取り上げられている。
しばらく1.5車線幅の道路を進んでいくと、小さな川を渡る橋が架かっていた。
橋の名は山中橋、その架橋は昭和9年11月だった。
こういう旧道の遺構が、今なお現役として残っていた事はうれしかった。
どこまでが公道なのかが不明な感じになる。
ここら一帯、道路以外は世紀東急工業の敷地っぽい。
ここら一帯、道路以外は世紀東急工業の敷地っぽい。
道路が二手に分かれるので一瞬戸惑ったが、何のことは無い、10mくらいで再び合流するのだった。
世紀東急工業社は残土や砕石なども手がけているようで、そのため、搬入搬出のトラックの出入りが多い。しかし、狭いためか山中橋側の道路は使用しないようで、拡張された(?)北側の道路が使われている。
現在地はここ
ヘアピンカーブの先、約100m進めば都道の現道に合流するのだが、これから行くのはこヘアピン地点を右に行く道になる。
その道こそが昭和32年ごろまでの都道だったはずの道なのだが、地図の時点で怪しい道であろう事は簡単に予測ができていた。
その道こそが昭和32年ごろまでの都道だったはずの道なのだが、地図の時点で怪しい道であろう事は簡単に予測ができていた。
(後編につづく)