【14年1月26日探索・4月27日公開】
とりあえず、現道に架かる吉野橋(昭和8年架橋)を撮影した。
中央本線の下り列車の車窓からだと、ほんの一瞬だけ見る事ができる。
対岸からズームアップでもすればよかったのかもしれなかったが、私はこれまでこの橋の全景写真が撮れないでいたので、思いがけずの収穫だった。
中央本線の下り列車の車窓からだと、ほんの一瞬だけ見る事ができる。
対岸からズームアップでもすればよかったのかもしれなかったが、私はこれまでこの橋の全景写真が撮れないでいたので、思いがけずの収穫だった。
航空写真モードでも示したが、この道路のカーブ突端付近が探索ポイントになる。
階段を降りた。
この斜めの階段、画像では伝わらないかもしれないが、ものすごく降りにくかった(当然帰りも登りにくかった)。
この斜めの階段、画像では伝わらないかもしれないが、ものすごく降りにくかった(当然帰りも登りにくかった)。
いざ、目的地へ~
ガードレールを越え、橋台と思しき場所へ足を踏み入れた。
まずは足元、湖方向をよく見てみる。
航空写真では橋脚らしきものが見えるのだが、藪の中にあるのだろう。見えない。
航空写真では橋脚らしきものが見えるのだが、藪の中にあるのだろう。見えない。
続いて対岸。
凹凸があまりないようにも見えるが、画像を拡大してよく見ると、石造りの橋脚であるようだ。
凹凸があまりないようにも見えるが、画像を拡大してよく見ると、石造りの橋脚であるようだ。
で、私が立っている場所だが、うまい画像が撮れなかった。
しかし、これが吉野橋旧橋(新猿橋)の橋台で間違いないと思う。
明治29年(1896)架橋時のものだとすれば120年近くも経過している事になる。
しかし、これが吉野橋旧橋(新猿橋)の橋台で間違いないと思う。
明治29年(1896)架橋時のものだとすれば120年近くも経過している事になる。
最後に少し移動した場所で、手前側橋脚と思しきものを発見した。
1月末の撮影でもこれが精一杯だった。
1月末の撮影でもこれが精一杯だった。
じゃ、反対側、行ってみようか。
ただ、旧道っぽい道、航空写真で見る限り、個人の敷地のように見えて仕方が無いのが気になるな・・・
ただ、旧道っぽい道、航空写真で見る限り、個人の敷地のように見えて仕方が無いのが気になるな・・・
(その3へつづく)