【14年3月29日探索・4月15日公開】
いったん現道に合流したかに見えた旧道だが、まだ先があった。
旧道のルートは、mapion地図で言えば、大まかにはバス通りを示す点線のルートが近い。
ちなみにmapion地図には、他の地域でも廃道に近い旧道がバスルートとして描かれている事が、これまででもいくつかは見られていた。
旧道のルートは、mapion地図で言えば、大まかにはバス通りを示す点線のルートが近い。
ちなみにmapion地図には、他の地域でも廃道に近い旧道がバスルートとして描かれている事が、これまででもいくつかは見られていた。
空き地のような区間を過ぎると・・・
小さな山越え区間に入った。
旧道は現道からは少し離れた場所を通っていた。
そしてその廃道には粗大ごみがいくつか捨てられていた。
旧道は現道からは少し離れた場所を通っていた。
そしてその廃道には粗大ごみがいくつか捨てられていた。
何に利用されていたのか不明な杭があった。
このあたり、かなり道路の痕跡が薄くなってきた。
現在地はこの辺
このあたりで撤収した。理由は「勘」だった。
この先で道は無くなるというかなり漠然とした勘だった。
この先で道は無くなるというかなり漠然とした勘だった。
この小さな峠越え区間はどうも未舗装のままだった可能性が高い。
現在でこれだけ道路の原型が残っていない区間だったので、早い段階からその危険性は指摘されていたのだろう。
航空写真を見る限り、昭和39年から昭和50年までの間で現道に切り替わった事はわかったが、比較的早い世代、おそらく昭和42~44年くらいに切り替わっていたのではないかと推測してみた。
現在でこれだけ道路の原型が残っていない区間だったので、早い段階からその危険性は指摘されていたのだろう。
航空写真を見る限り、昭和39年から昭和50年までの間で現道に切り替わった事はわかったが、比較的早い世代、おそらく昭和42~44年くらいに切り替わっていたのではないかと推測してみた。
これは下の道からの撮影だ。
撤収地点の約20m先、ちょうど峠になろうかというあたりになる。
撤収地点の約20m先、ちょうど峠になろうかというあたりになる。
が、その先は道路らしき線形は認められなかった。
結果的には勘が当たった・・・のかな??
結果的には勘が当たった・・・のかな??
旧道が失われたであろう区間はおよそ100mだった。
この画像は反対側の合流点から反対に見た所だが、ガードレールの先が旧道だったはぞの場所だった。
この画像は反対側の合流点から反対に見た所だが、ガードレールの先が旧道だったはぞの場所だった。
現在地はここ
合流地点からほんの60mくらい進むと小さな橋が架かっていた。
この橋、橋梁名は不明ながら、昭和10年4月竣工との歴史ある橋だった。
この橋、橋梁名は不明ながら、昭和10年4月竣工との歴史ある橋だった。
その橋のすぐ右手にはわさび田?
あ~、静岡県だなあという光景の先には・・・
現在地はここ
ここにも旧道が疑われる道があったのだが、人の目が多かったので、進入はやめておいた。
まあ、その全体も見えるし、ここは妥協した。
(その11へつづく)