【18年2月11日探索・8月26日公開】
現在地はここ
千葉県南房総市白浜町滝口 県道86号館山白浜線だ。
以前から見たかった有名な橋の約100m手前だ。
以前から見たかった有名な橋の約100m手前だ。
目的地手前だが、この右側にスルー出来ない光景があった。
それがこの坂道を上る桟橋だ。
何気にこれ、珍しくないか? こんな造りの橋は初めて見るぞ!
何気にこれ、珍しくないか? こんな造りの橋は初めて見るぞ!
もうちょっとよく見ればよかったような気もしたが、目的地へ進んだ。
目的の橋に着いた。
まずは正面、道路の反対側から見てみよう。
現在、自動車は通行禁止になっている。
左側の親柱隣の石柱(袖柱)には眺尾橋と刻まれている。そして橋の右側は・・・
左側の親柱隣の石柱(袖柱)には眺尾橋と刻まれている。そして橋の右側は・・・
親柱には何も刻まれていないが、その袖柱には紀元2548年と刻まれていた。
ちなみに、その手前の柱は各地への距離標で、1つの面には現在地として「安房郡長尾村」という文字が刻まれていた。この橋は明治21年竣工で長尾村が根本村と滝口村の合併により誕生したのは明治22年なので、橋の完成よりも後に建てられた事になる。
ちなみに、その手前の柱は各地への距離標で、1つの面には現在地として「安房郡長尾村」という文字が刻まれていた。この橋は明治21年竣工で長尾村が根本村と滝口村の合併により誕生したのは明治22年なので、橋の完成よりも後に建てられた事になる。
さて、橋を見てみよう。
見事な石の3連アーチだ。石はみずるめ石というここから1kmも離れていない場所の石切場から持ってきた石だそうだ。関東大震災や第二次世界大戦(戦時中は戦車も通ったらしい)にも耐えたのだからすごい。
見事な石の3連アーチだ。石はみずるめ石というここから1kmも離れていない場所の石切場から持ってきた石だそうだ。関東大震災や第二次世界大戦(戦時中は戦車も通ったらしい)にも耐えたのだからすごい。
欄干もなかなかのデザインだが、オリジナルだろうか?
左岸に渡った。
こちら側から見ると、左側の袖柱には明治21年3月と刻まれていた。
明治21年は西暦では1888年だから、130年も経過しているのか・・・
こちら側から見ると、左側の袖柱には明治21年3月と刻まれていた。
明治21年は西暦では1888年だから、130年も経過しているのか・・・
右の袖柱には「ながおばし」、その向こう側には千葉県教育委員会と白浜町設置のこの橋の説明碑があった。
2005年に土木遺産Bランクに指定されていて、そのプレートもあった。
それにしてもプレートの名前は「めがね橋」なのか。土木学会なのに、なぜ正式名じゃないんだ?
そもそもめがね橋っていう呼び方、個人的にはあまり好きじゃないし・・・
そもそもめがね橋っていう呼び方、個人的にはあまり好きじゃないし・・・
もう一度横から見てみよう。
よく見ると、一部は補修されているようだが、それでも美しい。
よく見ると、一部は補修されているようだが、それでも美しい。
橋は下からの鉄則通り、下からも見たかったのだが、少し離れた場所からのズームアップでしか見られなかった。それでもこの造り、しかも130年前の建造、見事だ。
(完)