【18年1月14日探索・8月13日公開】
この区間の昭和44年の今昔マップはここ
昭和49年の航空写真はここ
現橋の架橋が昭和47年(1972)なので、航空写真はその2年後の撮影なんだが、橋の痕跡がけっこう綺麗に取り払われているように見える。
当初、ここに架かっていた旧橋は木製の冠水橋ではないと考えていたんだが、どうもそうでもなさそうだ。
当初、ここに架かっていた旧橋は木製の冠水橋ではないと考えていたんだが、どうもそうでもなさそうだ。
どこかに画像は無いかなと思い探してみたら・・・
彩の国 デジタルアーカイブの中にあった。
(注:記事の直リンクが貼れないので、興味のある方は「画像検索」で「釘無橋」と検索してください)
これを見る限り、旧橋は木製の冠水橋だったんだ。重量制限により路線バスも通行できなかったようだ。
彩の国 デジタルアーカイブの中にあった。
(注:記事の直リンクが貼れないので、興味のある方は「画像検索」で「釘無橋」と検索してください)
これを見る限り、旧橋は木製の冠水橋だったんだ。重量制限により路線バスも通行できなかったようだ。
現在地はここ
川島町側、ここから入る。
ここを右に下っていくと・・・
ここは右折する。
実際はいったん私はここを直進してしまい、しばらくしてから気づくという失態をしてしまった。
再訪の場所なのに・・・
実際はいったん私はここを直進してしまい、しばらくしてから気づくという失態をしてしまった。
再訪の場所なのに・・・
舗装が残っている。
それは前回も確認済みだった。
それは前回も確認済みだった。
ここの幅員は4m~5mといった所であったようだ。
前回撤退地点はこの辺だったか。
現在地はこの辺
冬場なので、なんとか進める。
すると、道に支柱らしきものが設置されているのがわかった。
これは恐らく廃止後の事ではなく、現役時代の悪天候時に通行止チェーンを設置するための支柱だったのではないかと思う。
すると、道に支柱らしきものが設置されているのがわかった。
これは恐らく廃止後の事ではなく、現役時代の悪天候時に通行止チェーンを設置するための支柱だったのではないかと思う。
真冬でもこんな状態なのだから、夏場だったらやっぱりアウトだな・・・
もうけっこう越辺川に近そうだ。
10mほど進むと、藪の中に何かが見えてきた。
ガードレールがバリケードになっていた。
という事はこの先に橋が架かっていたんだろう。
という事はこの先に橋が架かっていたんだろう。
かなりの藪だが、場所の特定はできるんだろうか?
(その4・最終回につづく)