【17年8月5日探索・12月3日公開】
現在地はここ
湯桧曽川右岸から左の旧橋(廃トラス)、右の現橋を見た。
右側、現橋だ。
こちらは横から見た感じは変わっていない。
こちらは横から見た感じは変わっていない。
現橋の方だが、名前は湯桧曽川仮設橋りょう、もちろん7年前から変わっていない。
塗装も28年前に施工されたっきりなのだが、施工者は鉄建建設である。
塗装も28年前に施工されたっきりなのだが、施工者は鉄建建設である。
そして以前も紹介したのだが、銘板を見て頂こう。
明治42年、川崎造船所(現在の川崎重工)神戸分工場で造られたガーダーだ。
明治42年、川崎造船所(現在の川崎重工)神戸分工場で造られたガーダーだ。
この橋がいつから架かっているのかについては、塗装された平成元年(1989)からである可能性が高そうだが、航空写真で確認する限りでは、この場所に2本の橋が見える一番古いのは昭和44年(1969)の写真だ。
いずれにせよ「仮設」橋梁として架かっているには長すぎる期間だ。
現橋が仮設橋扱いであるために廃トラスの方は撤去できない、という事だろうか?
いずれにせよ「仮設」橋梁として架かっているには長すぎる期間だ。
現橋が仮設橋扱いであるために廃トラスの方は撤去できない、という事だろうか?
現橋、よく見るとこちら側から降りられそうだ。
で、下から見たのがこの画像だ。
幅はともかく、この桁はやっぱり鉄道由来のものだろうと思う。
幅はともかく、この桁はやっぱり鉄道由来のものだろうと思う。
現在地はここ
この左前方の細道を進むのだが・・・
バス停もなかなか味がある。
細道を上がっていく。
手水がある。
手水がある。
すると当然だが神社がある。
朝日神社という名だが、群馬県内には同名の神社は他にないようだ。
朝日神社という名だが、群馬県内には同名の神社は他にないようだ。
駅跡へ向かう。
7年前にはこの右側に家屋があったはずだが、もうなくなっていた。
7年前にはこの右側に家屋があったはずだが、もうなくなっていた。
それにしても、今もまだあの怪しい通路は残っているのだろうか?
そもそも、2017年にもなって、カギはがかかっていない上に立入禁止の文字もなく自己責任で、なんて事はないんだろうな・・・
そもそも、2017年にもなって、カギはがかかっていない上に立入禁止の文字もなく自己責任で、なんて事はないんだろうな・・・
(後編につづく)