【17年1月29日探索・5月16日公開】
現在地はこの辺
ここ、水位が高い時には湖底になっていたに違いない。
コンクリートの構造物があったが何だったのかはわからなかった。何かの基礎部分?
コンクリートの構造物があったが何だったのかはわからなかった。何かの基礎部分?
先ほどから見えていた橋に到着した。
4本ある親柱を観察する。
左側は「足尾町へ○○」
○部分には距離が刻まれているのだろうがはっきりと解読ができなかった。
九粁と刻まれているような気もするが・・・
左側は「足尾町へ○○」
○部分には距離が刻まれているのだろうがはっきりと解読ができなかった。
九粁と刻まれているような気もするが・・・
右側は「板倉橋」だ。
橋を渡り、北側から振り返り橋床面の全景になる。
北側・左側の親柱には「大間々町へ二四粁ロ」と刻まれていた。
右側には2ヶ所情報があったがひとつは「いたくらはし」、橋の名の読みの確認はできた。
そして私が一番知りたかった情報があった。「昭和十二年六月竣工」80年が経とうとしていた。
そして私が一番知りたかった情報があった。「昭和十二年六月竣工」80年が経とうとしていた。
橋を横から見てみた。
水没する事もあると思うが、木が多く生えているところから考えるとあまり水没している時間は長くないようで、目だった劣化はしていないように見えた。
水没する事もあると思うが、木が多く生えているところから考えるとあまり水没している時間は長くないようで、目だった劣化はしていないように見えた。
橋は桁橋、いや、床版橋だな。
橋から上流方向を見ると国道122号線の橋が見える。
私がいる板倉橋と同名の橋なのかと思ったが、国道の橋は押手橋という。
まあ、この川の名前も押手川なので、その方が自然か。
そうなると「板倉」ってどこから来た名前だろうか?
私がいる板倉橋と同名の橋なのかと思ったが、国道の橋は押手橋という。
まあ、この川の名前も押手川なので、その方が自然か。
そうなると「板倉」ってどこから来た名前だろうか?
橋の先、少しは行けるのかもしれないが、ここで引き返した。
(その4へつづく)