【17年1月15日探索・5月8日公開】
まずは今昔マップをご覧頂きたい。
これはおそらく昭和27年版の2万5千分の1地形図「与野」であろうかと思うが、そこに描かれている荒川渡河の橋とそのアクセス道が気になった。今はどうなっているのだろうか?
これはおそらく昭和27年版の2万5千分の1地形図「与野」であろうかと思うが、そこに描かれている荒川渡河の橋とそのアクセス道が気になった。今はどうなっているのだろうか?
現在地はここ
埼玉県川越市古谷上 国道16号の現道から左に逸れて行く道がある。これこそが地図旧版に描かれていた道に違いない。
旧上江橋が開通する昭和32年(1957)には既に国道指定されていた(当時は二級国道129号東京環状線)。で、その国道指定は昭和28年(1953)だったので、4年間はこの道が国道であった事になる。
なので、道の幅は広い。
なので、道の幅は広い。
別の道路に合流する場所の線形も、旧国道であるこの道の方が自然なカーブになっている。
現在地はここ
左側に何かの石碑が建っていた。
それは上江橋の歴史を示した記念碑だった。
明治27年(1894)に有志による冠水橋がこの場所に架けられた。当時の荒川は現在の位置ではなく、この場所の川がそうだったと刻まれていた。
明治27年(1894)に有志による冠水橋がこの場所に架けられた。当時の荒川は現在の位置ではなく、この場所の川がそうだったと刻まれていた。
現在は旧荒川は東川と名を変え、この地に架かる橋も「江遠島上江橋」とその名も変えている。
初代上江橋の画像が
Wikipedia内にあったので画像を拝借した(URL貼付けがうまくいかなかったので。問題があるようなら削除します)。
初代上江橋の画像が
Wikipedia内にあったので画像を拝借した(URL貼付けがうまくいかなかったので。問題があるようなら削除します)。
東川の下流方向を見た。
ちなみに左側に見える団地は川越グリーンパークだ。
ちなみに左側に見える団地は川越グリーンパークだ。
自動車学校の校舎前を過ぎると荒川の堤防が見えてきた。
ちなみに左の境界柱っぽいものは消火栓の位置を示すものだった。
ちなみに左の境界柱っぽいものは消火栓の位置を示すものだった。
土手を上がった。右側、下流方向へいく。
現在地はここ
左に下っていく道が旧国道にあたる道であるようだ。
左側には自動車学校の実技練習場があった。
駐車禁止の看板が建っているが、これは荒川上流河川事務所西浦和事務所が設置している。
駐車禁止の看板が建っているが、これは荒川上流河川事務所西浦和事務所が設置している。
一般車両は通っていいのかな・・・
(その2へつづく)