【17年2月26日探索・5月5日公開】
現在地はここ
東京都目黒区下目黒 目黒不動尊である。
言わずと知れた江戸三大不動・江戸五色不動の一つだ。
言わずと知れた江戸三大不動・江戸五色不動の一つだ。
しかし私の目的地はここではない。左の道を歩いて行く。
途中で目に付いたのがこの石碑だった。
明和5年(1768)に建立された法界萬霊供養塔兼道標で、右目黒道、左祐天寺道と刻まれていた。
昔からある道なんだな。
明和5年(1768)に建立された法界萬霊供養塔兼道標で、右目黒道、左祐天寺道と刻まれていた。
昔からある道なんだな。
ようやく目的の道に来たようだ。
現在地はここ
地図を見て頂ければお判りかと思うが、他の道とは違うカーブを描いている。
これこそが目黒競馬場のコース(正確にはそのコース外周道)の名残の道だという。
あ、これは左側なので直線の方だ。
これこそが目黒競馬場のコース(正確にはそのコース外周道)の名残の道だという。
あ、これは左側なので直線の方だ。
その先の直線もある程度見渡せる。
で、こっちが交差点から右側を見た画像になる。
左にカーブを描く道がある。
左にカーブを描く道がある。
この交差点は右の道がそうだ。
この辺が第1コーナー(目黒競馬場は右回りで北側が正面だったようなので私は第1コーナーだと思うが、これを第4コーナーとする説もあるようだ)であり、名残の終点である。
現在地はここ
そのカーブ終点(コース的には始点か)を反対側から見た。
もちろん右側の道がそうだ。
もちろん右側の道がそうだ。
このあたりは元競馬場という地名が定着している。
バス停名、交差点名、商店街(大鳥前元競馬商店街振興組合)などだ。
バス停名、交差点名、商店街(大鳥前元競馬商店街振興組合)などだ。
目黒通りには目黒競馬場跡の碑も建っている。
目黒競馬場は明治40年(1907)から府中に移転する昭和8年(1933)までこの地にあり、第1回日本ダービーも開催された。ちなみにこの馬はトウルヌソル号といい、第1回ダービー馬ワカタカをはじめ6頭のダービー馬の父だそうだ。
目黒競馬場は明治40年(1907)から府中に移転する昭和8年(1933)までこの地にあり、第1回日本ダービーも開催された。ちなみにこの馬はトウルヌソル号といい、第1回ダービー馬ワカタカをはじめ6頭のダービー馬の父だそうだ。