【14年3月8日探索・5月4日公開】
現在地はここ
地図では道が描かれていないので、航空写真モードにした。
小さなカルバート内は身をかがめないと通過できなかった。そんなカルバート隧道を30mほど進み、反対側に抜けた。これを進めばこの先100m足らずで太東漁港に出る。
小さなカルバート内は身をかがめないと通過できなかった。そんなカルバート隧道を30mほど進み、反対側に抜けた。これを進めばこの先100m足らずで太東漁港に出る。
で、今来た隧道を振り返った。・・・おかしいよな、これ。
素掘隧道内に後からカルバートを挿入したと、明らかにわかる施工だが、それにしてもやることが雑すぎる。左側など明らかに人が入れるだけのスペースがある。これはもちろん、行くしかない。
素掘隧道内に後からカルバートを挿入したと、明らかにわかる施工だが、それにしてもやることが雑すぎる。左側など明らかに人が入れるだけのスペースがある。これはもちろん、行くしかない。
本当に行けるな。さらに進むと・・・
なんと左側に横穴があったのだった。
カルバートは横穴をやたらに知られないためのもの、という意味もあったのか??
カルバートは横穴をやたらに知られないためのもの、という意味もあったのか??
横穴もまた狭かったが、たぶん15mくらいでどこかに出た。
出たところで左を見たら、5mくらい先で行き止まりになっていた。
右は20mくらいでまた別のどこかに出るようだ。
どこかに出て、今度は左を見た。
これはどうやら入洞順を迷った、もう1本の隧道内であるようだ。
これはどうやら入洞順を迷った、もう1本の隧道内であるようだ。
その坑口は房総では普通の素掘隧道だ。
隧道の先には現役の住宅があった。
この住民が素掘隧道を利用しているという事だろう。
この住民が素掘隧道を利用しているという事だろう。
3枚上の画像の場所で右側を見るとこう見える。
路面に多数ある崩落したであろう石も気になる。
路面に多数ある崩落したであろう石も気になる。
先ほどまでいた広場に出た。
つまり、2本の隧道は横穴2本(狭い横穴と接続していた横穴)によってつながっていた。
もともと2本の隧道をつなげておく意味は希薄であろうと思う。
これはやはり太平洋戦争中の防空壕だった可能性が高そうだ。
接続していた横穴が貫通していなかった事もその仮設を後押しできる材料だった。
つまり、2本の隧道は横穴2本(狭い横穴と接続していた横穴)によってつながっていた。
もともと2本の隧道をつなげておく意味は希薄であろうと思う。
これはやはり太平洋戦争中の防空壕だった可能性が高そうだ。
接続していた横穴が貫通していなかった事もその仮設を後押しできる材料だった。
太東漁港自体には軍事性はなかったはずだが、すぐ隣の一宮町には風船爆弾基地があったり勝浦の鵜原には陸軍火薬庫があったりと、軍の重要拠点がいくつかあった事から空襲の回数が多い地域だったのかもしれない。
(おわり)