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千葉県いすみ市 謎の隧道2本(後編)

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【14年3月8日探索・5月4日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_0?1399125231

現在地はここ

地図では道が描かれていないので、航空写真モードにした。
小さなカルバート内は身をかがめないと通過できなかった。そんなカルバート隧道を30mほど進み、反対側に抜けた。これを進めばこの先100m足らずで太東漁港に出る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_1?1399125231

で、今来た隧道を振り返った。・・・おかしいよな、これ。
素掘隧道内に後からカルバートを挿入したと、明らかにわかる施工だが、それにしてもやることが雑すぎる。左側など明らかに人が入れるだけのスペースがある。これはもちろん、行くしかない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_2?1399125231

本当に行けるな。さらに進むと・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_3?1399125231

なんと左側に横穴があったのだった。
カルバートは横穴をやたらに知られないためのもの、という意味もあったのか??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_4?1399125231

横穴もまた狭かったが、たぶん15mくらいでどこかに出た。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_5?1399125231

出たところで左を見たら、5mくらい先で行き止まりになっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_6?1399125231

右は20mくらいでまた別のどこかに出るようだ。




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どこかに出て、今度は左を見た。
これはどうやら入洞順を迷った、もう1本の隧道内であるようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_8?1399125231

その坑口は房総では普通の素掘隧道だ。




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隧道の先には現役の住宅があった。
この住民が素掘隧道を利用しているという事だろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_10?1399125231

3枚上の画像の場所で右側を見るとこう見える。
路面に多数ある崩落したであろう石も気になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54274338/img_12?1399125231

先ほどまでいた広場に出た。
つまり、2本の隧道は横穴2本(狭い横穴と接続していた横穴)によってつながっていた。
もともと2本の隧道をつなげておく意味は希薄であろうと思う。
これはやはり太平洋戦争中の防空壕だった可能性が高そうだ。
接続していた横穴が貫通していなかった事もその仮設を後押しできる材料だった。

太東漁港自体には軍事性はなかったはずだが、すぐ隣の一宮町には風船爆弾基地があったり勝浦の鵜原には陸軍火薬庫があったりと、軍の重要拠点がいくつかあった事から空襲の回数が多い地域だったのかもしれない。

(おわり)
 

ようやくリベンジ

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埼玉県秩父市の、あの、封鎖トンネルの先に、やっと到達できました。

イメージ 1

イメージ 2

山梨県甲州市 廃吊橋と変わった高側道(その1)

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【14年1月4日探索・5月5日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54275947/img_0?1399215426

現在地はここ

山梨県甲州市大和町初鹿野 国道20号線観音トンネルだ。
トンネルには入らずに旧道のような道に入る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54275947/img_1?1399215426

すると、吊橋が架かっているのが見える。




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しかし、渡ることは既に出来ない。
(この橋、私自身は2度目の訪問になる。4年半ほど前に訪問していた。)



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それは、床板が既にこんな状態になっているからだ。

長垣橋という名のこの橋、竣工の銘版もあるのだが、昭和37年3月28日と、日付までが刻まれた銅版だった。対岸の日影地区におけるこの橋の重要性を物語っていた。

ちなみに「長垣の吊橋とぶどう畑の風景」は旧大和村の十二景にも選定されていたようだ。




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とりあえず反対側へ向かう。
何やらソソられるコンクリの桟橋があるが、今回はスルーしよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54275947/img_5?1399215426

吊橋を下から見上げられる場所があった。
通常なら漏れてくるはずのない場所から差し込んでくる光がなかなか素敵だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54275947/img_6?1399215426

現在地はここ

渡橋が叶わないのはもうわかっているのだが、吊橋の反対側にきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54275947/img_7?1399215426

進んでいくと簡易バリケードがあった。
これ、何も書かれていないから、もうちょっと行ってみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54275947/img_8?1399215426

で、ここまでは進んだ。ここで撤収する。
この吊橋、かなり水面から高い場所に架かっていて、万が一落下でもしょうものなら絶対無事では済まないと思うからだ。

廃吊橋の記事は以上だが、3枚上の画像に付けた地図で言うと4時の方向に行く道が何か気になる。高速の下に潜っているようにも見える。
これは確かめる必要がありそうだ。

(その2へつづく)

山梨県甲州市 廃吊橋と変わった高側道(その2)

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【14年1月4日探索・5月6日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_0?1399300912

現在地はここ

廃吊橋からは150mくらい離れた場所だ。
地図では下の方向に向かっているのだが、私が進んでいる道は中央自動車道に吸収されているかのような描かれ方をしている。
こんな小道が高速道と合流するはずもない。
となると・・・やはり先が見てみたい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_1?1399300912

現役の道路のはずだが、どことなく廃っぽさがあったりする。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_2?1399300912

合流するはずがないのはわかっていたのだが、こういう事だったのか!
高速下の側道が楽しめるようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_3?1399300912

ここにある、封鎖された扉の先には何があるのだろう?
物置に見えなくもないが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_4?1399300912

ここは銘版などがなかったが橋になっている。
そして中央道上り線の真下である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_5?1399300912

今度は下り線と絡むのか??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_6?1399300912

現在地はここ

いったん中央道と離れるかに見えたが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_7?1399300912

すぐにまた戻る。

この道は旧・大和村道であるようで、現在は甲州市道になっている(はず)。
国土変遷アーカイブの航空写真で見る限り、中央道が開通する前からある道路のようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_8?1399300912

なので、工事の際に高速道とセットで造られた側道よりも、味わい深い道路である事は間違いない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54277669/img_9?1399300912

これも味わい深さだろうか?
いきなり廃道チックになったりもする。

いや、よく見れば落ち葉が多いだけでちゃんと轍もある。
それでも先が気になる道であろう。

(その3・最終回につづく)

  

山梨県甲州市 廃吊橋と変わった高側道(その3・最終回)

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【14年1月4日探索・5月7日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54279798/img_0?1399386848

現在地はここ
<1時の方角へ進み、すぐ道なりに右折する>

今度は高速の下り線を橋で渡る。
橋の名は芝橋、1976年12月 日本道路公団建造の二等橋だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54279798/img_1?1399386848

下り線だけを渡り終えると、下り線と上り線の真ん中を突き進む。
両側が高速道路って、私がこれまで通ってきた側道の中にはなかったと思う。




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そして、上り線は「大月33」カルバートにて交差、つまり今度はアンダーパスである。




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開放されていたフェンスを通過し、簡易舗装の道路は高速上り線にへばりついて並行する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54279798/img_4?1399386848

こんな簡易的な道でも、中央道建設の時には活躍したんだろうなあ。
高速本線上には日川を渡る旨の緑看があるのが見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54279798/img_5?1399386848

私が進んでいる道は、今度はまるで半洞門だ。
にわか雨のときなど助かるな、などと思いながら進むと・・・




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こんな半分バリケードのような仕切板?があって。




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場合によってはビバークすら可能なほどの雨宿りスペースが出現したのだった。
こんな変な道、初めてだ!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54279798/img_8?1399386848

この先高速は日川を渡る。
私も日川を渡るのだが、それは高速から離れあの橋を渡る。




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中央道とは、この長い下り坂でサヨナラする事になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54279798/img_10?1399386848

上から見えていた上路プラットトラスを渡る。橋の名は鶴瀬橋という。
この橋を渡ると国道20号線、レポはこれにて終了となる。

(おわり)

  

東京都あきる野市 弁天山洞窟探訪(前編)

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【14年3月16日探索・5月8日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_0?1399475772

現在地はここ
<進行方向は7時>

東京都あきる野市網代 都道61号旧道を左折する。
この近くに、誰でも入れる洞窟があると聞いてやって来た。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_1?1399475772

ほどなく貴志嶋神社の鳥居がある。
本殿や奥の院(洞窟)はもっと先になる。

ここから先はどう見ても車道ではないので、ヘリオス号はここで待機させる事にした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_2?1399475772

こんな山道を歩くこと約4分・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_3?1399475772

現在地はこの辺

何かの基礎の跡があった。何だろう?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_4?1399475772

近くにはこんな取り付け台のようなものもあったし・・・




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この遺構は何の跡なのだろう??




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別角度からも撮影してみた。
ここは城山ではあるようだが、そんな時代のものではない。
明らかに昭和時代のものであろうが、ご存知の方、是非ともご教示頂きたい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_7?1399475772

すぐ近くに看板があったが、遺構については触れられていなかった。
私の目的地は下方向、神社の先の弁天洞穴だ。
途中にトイレがあるのか、ちょうど行きたかったんだ。利用しようかな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/75/54283475/img_8?1399475772

と、思っていたが、これを見てそんな気はなくなった。
明らかにボットンだ・・・しかも、扉がなくなっていて(その左の個室の扉も壊れているっぽい)、代わりはブルーシート・・・ノックとか出来ないし、鍵は・・・たぶんかからない。

トイレはあきらめ、洞窟へ~

(後編へつづく)

  

東京都あきる野市 弁天山洞窟探訪(後編)

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【14年3月16日探索・5月9日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54285361/img_0?1399560404

現在地はここ

貴志嶋神社の本殿らしき建物に着いた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54285361/img_1?1399560404

私は本殿横からの境内入りとなったが、本来の参道らしき道が正面から延びていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54285361/img_2?1399560404

本殿の隣に神楽殿もあった。
まあ奥の院もあるほどの神社なので、神楽殿があっても不思議はない。
神事の際にはここも使われるのだろう。




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洞窟はあと約100mほど先、奥の院になる。




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それらしい場所には先客がいた。
私よりも年上の方だった。




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現在地はこの辺

このロープが張られている中が奥の院であり、洞窟という事になる。
先客が出てくるまで待つこと約2分。




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先客が出てきたので私が入洞する。
洞窟内には何体かの仏像があった。




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目立つやつではなく、真ん中のずんぐりむっくりしたやつが市の文化財になっている。これが石造大黒天像で、文明9年(1477)の刻印があるそうだ。500年以上も昔に造られた事になる。




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昼間なので外は普通に明るかったが、夜間などはとんでもなく怖いのだろう。

また、地図を見て気づいたのだが、ここのほぼ真下には都道61号線の五日市トンネルがある。
まったく用途の違う穴が同じ場所に開いているというのも何とも不思議な感覚だった。

(おわり)

東京都八王子市 都道187号多摩御陵線

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【14年3月16日探索・5月10日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/87/54287487/img_0?1399648530

現在地はここ
<いったん進む方向は5時>

東京都八王子市東浅川町 国道20号線から都道187号多摩御陵線に入り終点方向を向いたところだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/87/54287487/img_1?1399648530

現在地はここ

綾南会館という施設の敷地内に入ったが、駅前ロータリーのようだ。
そして本都道は停車場線のような線形をしている。

ご存知の方も居られると思うが、かつてここには東浅川という皇室専用の駅があった。
大正天皇御大葬の際、昭和2年に開設され昭和35年に廃止されている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/87/54287487/img_2?1399648530

なので、跨線橋から見ると、ホームがあったであろう名残の空間があったりする。




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では改めて、起点に向けて出発しよう。
本都道の延長は844m(wikipediaより)だそうだが、wikipediaには旧・東浅川駅が起点と記述されている。しかし、後述するが、それは違っているようだ。ここが終点である。




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国道20号線を過ぎると多摩御陵の参道になる。




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現在地はここ

南浅川を渡る橋が架かっている。その名も南浅川橋だ。
この橋は2代目になるようで、初代の橋は昭和2年頃に東京府が架けた木橋と記述があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/87/54287487/img_6?1399648530

で、現在の橋がこれだ。
コンクリートラーメン橋台のコンクリートアーチ橋で、昭和11年(1936)架橋である。

古いのにずいぶんと綺麗だなという印象があったが、平成元年、昭和天皇崩御のあと、大掛かりな補修、洗浄がなされたそうだ。



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あとは特筆する構造物はないが、横断歩道脇にキロポストを発見した。
これは起点から0.4kmのものだ。




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都道は多摩御陵に向かっていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/87/54287487/img_9?1399648530

現在地はここ

そしてここが御陵入り口であり、都道の「起点」である。




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都道としてはフルスペックの0kmポストが道路わきに立っていた。
これをもってしてここが起点じゃない、などという説明は私にはできない。

  

埼玉県秩父市 荒川南岸の廃遊歩道(その1)

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【14年4月6日探索・5月11日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54289620/img_0?1399732969

現在地はここ

埼玉県秩父市大滝 国道140号線上だ。
左のほうに見える山の上までパイプが延びているのは大洞第一発電所(の導水管)だ。

この後、左に見える道を通り、あのパイプ下の方に向かう事になる。




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1枚目画像から30mほど進んだ。
路線バスのバス停「大洞発電所入口」があり、その傍らにハイキングコースらしい案内標と看板が設置されていた。
これを総合すると、大輪地区までのハイキングコースがあるのだが発電所の先、どこかの段階で通行不能となっているという事になる。

看板の設置者は秩父市だが、消えかけの「大滝村」の文字が見て取れた。つまり、通行禁止の措置が取られたのは2005年以前という事になる。

1枚目画像の説明文に付けた地図には、点線表記の歩道として大輪地区までつながっているように描かれている。
が、ウェブ上でも情報は無いようだし、自分で確かめてみるしかないようだ。




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1枚目画像にも写っていたアプローチ道を進む。




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古びた橋と、頑丈そうな橋が架かっていた。




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公道は右の古びた橋である。
橋の名は上石橋だが、情報はそれしかなかった。
大洞第一発電所は昭和33年建設開始(昭和35年完成)らしいので、その前くらいの架橋であろうか。

左の橋は砕石運搬のダンプカーの通行用であり、一般人の渡橋は禁止されている。
ガードレール代わりの足場床板は初めて見る。




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現在地はここ

橋の先約50m地点に分岐地点がある。
この画像は正面になる。ここから先は砕石場なので入れない。




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進入が禁止されていないのは右の道なので、こちらを進む。




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国道から荒川を挟んだ対岸って、こんな光景だったんだ・・・




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大洞第一発電所が見えてきた。




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発電所は当然立入禁止なのだが、ハイキングコースの案内標が左側に立っているのが見えた。




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過去には「大輪に至る」だった、廃キングコースの始まりか?




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しばらくの間は人が通った形跡がない。

廃キングコースが始まったようだ。
ここからは自己責任だ。身の危険を感じたら戻ることにしよう。

(その2へつづく)

  

埼玉県秩父市 荒川南岸の廃遊歩道(その2)

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【14年4月6日探索・5月12日公開】

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現在地はここ

発電所脇を進んでいくと、雪が大量に残っている場所があった。
この雪の中に導水管があった(もちろんフェンスで覆われている)が、2月中旬の大雪が4月6日にもなってまだこれほど残っていた事の驚きと、少なくとも大雪以降誰も足を踏み入れていない場所の突破に集中していたため、撮影を失念していた。なので、ここから残雪地点突破までの画像はない。




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残雪が終わった所に、階段があった。




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そしてその階段を登ったところには「落石注意」の道路標識が設置されていた。
どう見たって車道であるはずも、かつて車道であった事も考えられなかった。
なのに、そう古くない道路標識が建っている事が不思議だった。




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進行・・・しようにも微かな踏み跡が残るだけだ。




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これの、どこがハイキングコースであったというのだろうか?
まあ、近年だけでも相当崩落したであろうから、現役のハイキングコースだった時にはもう少しまともな道があったのだろう。




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谷を越えると、こうやって少しだけ落ち着ける道がある。
ちなみにこのあたり、対岸の国道140号線からけっこう丸見えで、目立ちすぎなのがイヤだった。




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現在地はこの辺

次の谷にも大量の残雪があった。




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同じ谷の通過中だが、この谷は地図からも想像できるように、何度も崩落があったようだ。
そして、2月の大雪の後にもおそらく雪崩が発生したように見受けられた。

ここでの撤退も考えたが、残雪はけっこうシャーベット状になっており、ここで滑落したとしても川面まで連れて行かれる可能性は低いと見て、慎重に高巻しながら突破した。
ちなみに、ここでの目的地点は画像右・中央付近の平場だ。




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ふう・・・

結局この約30mの谷の突破に18分を要していた。
それでもここで探索終了とならずに済んだ。先に進もう。




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そもそも、ここが本当にハイキングコースだったのか?という疑問を持ち始めていた頃、構造物が現れた。




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手すりというか、ガードレールというか・・・
いずれにせよ、ここがかつてハイキングコースであった事を主張する遺構があった。

(その3へつづく)

  

埼玉県秩父市 荒川南岸の廃遊歩道(その3)

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【14年4月6日探索・5月13日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/72/54295172/img_0?1399907319

現在地はこの辺

こりゃあ、遊歩道として開放などしていられる道ではないな。
それでも2000年頃(私の推測だが)までここがハイキングコースであったのは、時代の違いか・・・




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少し進むと、またホッとできる道になった。




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しかし、そんな区間は長くは続かない。

ここなどは、小さな谷を越えるだけの場所なのだが・・・
踏み跡は左を回り込んでいる。




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そして、一番クリティカルな場所から下を見た。
画像からはさほどの恐怖感は伝えられていない気がするが、ここがこの廃キングコース上最も危険な箇所だったと思う。
万が一滑ったりしたら、岩にぶつかりながら落下し荒川の川面に激突となろう。




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そんなツンデレ廃道には、またしてもご褒美が用意されていた。




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いわゆる「デレ」だよな・・・
これぞ最も「廃遊歩道」らしい箇所ともいえる。




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しかしそんな部分は徐々に怪しげな雰囲気になってきた。




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道・・・ではなく、これはただの「踏み跡」だった。
それでもここは何とか通過したが・・・




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現在地はこの辺

踏み跡はさらにか細くなり、もはやハイキングコースだった面影を感じない。
何より、滑落の危険が高くなったように見えた。
あと100mほどの「岬の突端」を回れればその先また行けるかもしれないのはわかっていたが、身の危険を感じたのでここで撤退を決めた。




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来た道を戻る途中、川の岩畳に降りられそうな場所があったので寄り道してみた。




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ハイキングコースは山腹ではなく、川の岩畳沿いに続いているのかとも考えたのだが・・・




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どうも違うようだ。

それに右上の建物から私は丸見えだった。
通報でもされたら厄介なので、この先には進まずに遊歩道の反対側、大輪に行ってみよう。

(その4へつづく)

  

埼玉県秩父市 荒川南岸の廃遊歩道(その4)

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【14年4月6日探索・5月14日公開】

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現在地はここ

大輪地区までやって来た。
この鳥居は私の記事でもこれで3度目の登場となる。ちなみに前回は解体中ロープウエー駅の記事とその後の参道の記事なので、興味のある方はご覧頂ければ幸いである。




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その先、荒川本流に架かる登竜橋もまた3度目の登場となった。




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その登竜橋から眺めた「廃キングコース」であるはずの大輪側の遊歩道なのだが、いやに綺麗に整備されているようだった。




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登竜橋の先から入っていく。




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登竜橋は最近塗装し直しがあったようだ。
竣工自体は昭和30年(1955)なので、まもなく60年にもなろうとしていた。




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その傍らに残っていたのがこの案内標だ。
私はその大洞発電所側から途中まで通ってきたので、登山ロープでも使用しながらでない限り案内標通りにはいかない事を知っていた。




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綺麗に整備されているハイキングコースだが、いきなり謎の遺構出現!




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ここは何だったのだろうか?
四方を壁で囲われているので茶店ではなかろう。
小さな水力発電所でもあった?あるいはただの物置か?




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整備途中にして、すでに自然の猛威にさらされている場所もあった。
2月の大雪の被害か?




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現在地はたぶんこの辺

大洞側にあったのと同じ「落石注意」標識がこちら側にも設置されていた。




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少しだけ寄り道する。
落石注意標識の右奥には小さな滝があった。




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本線に戻った。

しばらく進むとこんな古道っぽい石垣が残っていた。

(その5・最終回につづく)

  

埼玉県秩父市 荒川南岸の廃遊歩道(その5・最終回)

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【14年4月6日探索・5月15日公開】

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現在地はこの辺

左、何かが潰れていた。
よく見るとどうやら「あずまや」だったものであるようだ。
先日の大雪での崩壊なのか、それ以前に崩壊していたかは不明だ。

そのすぐ先で道は二手に分かれるので、ひとまず直進する。




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明らかに整備途上の道に見えた。
どんどん登っていく。




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真新しい石垣の擁壁があった。
それにしても、工事しているそばからこんな落石がゴロゴロ・・・
どこまでハイキングコースの再整備をするのかが不明だが、何年か後にまた放棄されたなんて事のないように願いたい。




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突然、整備区間は終了した。
その先、20mくらい進んでみたが・・・




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現在地はこの辺

下を見た。
滑落したら絶対ヤバイって!

残念だが、ここで撤退した。
未探索区間は突端を回る部分の200m強といったところか。




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1枚目画像のあずまや跡の場所まで戻ってきた。
今度は左に行ってみよう。




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しばらくは思わせぶりな道が続いたが・・・




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100mほど進んだこのあたりで行く手を阻まれた。

橋でも架かっていれば先につながるのだが、そのような痕跡も発見できなかった。




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一応、悪あがきをしてみた。
多少の高巻をするルートがあるのではないかと探してみたが、そのようなルートはない様だった。




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なので探索終了!さあ、帰ろう。

行きには見つからなかったが、帰路で発見したものがあった。




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まずは矢印位置。
小さな石垣の築堤だった。




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そして、丸囲み。

これ、何だろう?
「不発弾 画像」で検索するとなんとなく似た形状のものが見られるが・・・

ご存知の方、ご教示頂きたい。

(おわり)

  

東京都武蔵村山市・埼玉県所沢市 府県道旧道探索

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【14年5月10日探索・5月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/21/54300921/img_0?1400165846

現在地はここ

東京都武蔵村山市本町 東京都道・埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線だ。
2ヶ月近く前のかすがさんの記事が気になった。気にはなっていたが、その場所への訪問はおそらく敗戦処理となりそうな事も事前に予想できていた。
このあたりは幾度となく通過していたし、羽村山口軽便軌道跡の探索の時にもあえなく敗退していた場所だったからだった。




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現在地はここ

今の場所の不自然なカーブ、これまで気づかなかったわけではなかったのだが、あえて深く考えていなかった。一応決着をつけるべく行ってみようと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/21/54300921/img_2?1400165846

オートバイ以上はここから先に入れない。
が、進入そのものは可能だった。

もし、この手前で進入不能だったら完全ボツネタだった。




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このあたりを旧道(当時は府県道89号八王子所沢線)が横切っていたと思われる。
狭山湖は昭和9年完成なので、当時の道が残っているとは考えづらかった。

ちなみに、当時の地図等はかすがさんの記事を参照頂きたい。




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やはり東京都水道局の厳重管理下、ずっと途切れず有刺鉄線付フェンスが張り巡らされていた。
フェンスの隙間にカメラを入れてみる。
鮮明に見えないが、この谷を旧道が通っていたはずだ。




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現在地はここ

埼玉県所沢市上山口 府県道だったはずの道の狭山湖を挟んでの反対側になる。
狭山湖側を向いての撮影となった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/21/54300921/img_6?1400165846

その反対側だ。

ここから高橋交差点までが旧・府県道なのだが、普通の2車線道路でビジュアル的にはあまり面白くない。




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なので一気に700m進み、高橋交差点までやって来た。
今更ながら、これが旧府県道だったんだと、改めて実感した。

  

静岡県沼津市 口野周辺探索(その1・隧道の辻)

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【14年3月23日探索・5月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/55/54302855/img_0?1400256731

現在地はここ

静岡県沼津市口野 「山行が」でも紹介されていた「隧道の辻」にやってきた。口野放水路交差点だ。
国道414号、県道17号、沼津市道が交わっている。

1~5までの穴に番号を振ってみた。
1は国道414号口野トンネル、昭和42年3月竣工だ。
2は一見国道の旧隧道のように見える。この後で近づいてみる。
3、4、5は狩野川放水路の水路隧道になる。
7については後述する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/55/54302855/img_1?1400256731

その3連隧道がもう少しよく見える場所まで進んだ。

昭和40年に完成した放水路だ。
ちなみに狩野川放水路の反対側はちょうどこの日工事中だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/55/54302855/img_2?1400256731

ここで左を見る。
国道414号多比第二隧道(昭和39年竣工)が見える。
これで6本目。
ちなみに、この隧道も後ほど通ることになる。




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今まで見た6本のうち、外見上で一番気になるのは2番の穴だろう。
よく見ると旧隧道というよりは未成隧道のように見える。




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謎の穴はこの先100mほどで閉塞しているらしい。

口野トンネルはもともとの石切場の空洞を利用しているそうで、そのため他の空洞等が国道トンネルの強度に問題が生じ、その結果、平成11年から16年にかけての国道トンネル補強工事を行った。
そのための作業坑だったようだ。



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今度は7番の隧道だ。
御場隧道、昭和37年竣工である。

ところで、同じ場所で7本の隧道(3本は水路だし1本はつながってないが)見られるという事は秩父の6箇所ポイントよりも上なのか?




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御場隧道の先の、切り通し方面に行こう。




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現在地はここ

が、「落石のため全面通行止」の看板が設置されていた。




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ま、とりあえず進んでみよう。

かつて石切場だったらしい跡が至るところに見える。

(その2へつづく)

  

静岡県沼津市 口野周辺探索(その2・切通し/前編)

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【14年3月23日探索・5月18日公開】

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現在地はこの辺
<進行方向は4時の方向>

住宅がなくなったが、石切場跡の流用であろう何かの施設があった。




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完全封鎖されているところから見ると、何か倉庫にでも利用されているようだった。




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さらに先に進む。

また全面通行止の看板があった。
さっきのもそうだが、看板が新しいのが気になるな。




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また、何か流用施設らしきものがあった。




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右の柵の先だが・・・
隧道でもなく、ただの穴にしか見えなかった。




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そして、スロープ付階段道を登った先には、こんな感じの施設があった。
何か、牢獄のようだな・・・

中を覗く気が起きなかったのは、近くに貼ってあったセコムのシールのせいだけではなかった。




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さらに左の怪しげな崖を見ながら道は登っていく。




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現在地はここ

バリケードで道は塞がれ「この先 落石の恐れあり 全面通行止」看板が3枚も並んでいた。

落石の恐れ・・・既に、看板の先に1つデカイ落石があったように見える。

さて、この先どうしよう。

(その3へつづく)

  

静岡県沼津市 口野周辺探索(その3・切通し/後編)

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【14年3月23日探索・5月19日公開】

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現在地はここ
<進行方向は1時>

結局・・・わるにゃん!

大御所さんが08年に訪問した時よりもかなり路面が無い。
残っているのはシングルトラック分だけで、落石と一緒に流入したであろう土砂には既に草が生えていた。
となると、落石があったのは今年とか昨年末の話ではないようだ。
少なくともひと夏は越えているという感じだった。




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明治35年開通の街道で、昭和42年までは現役だったはずの、国道414号線前身にあたる道路の最後にしては何か哀れな印象がぬぐえなかった。
30mも掘り下げたという路盤だが、隧道にしなかったのがアダになってしまったか。




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これが数年で車道からシングルトラックになってしまった街道の切通しだ。
口野の切通しと呼ばれるらしい。




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左側には石切場時代のものと思われる放置遺跡があった。
きっと中途半端な穴なんだろうな・・・




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こちら側のバリケードが見えてきた。




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こちら側は伊豆の国市設置の、通行止看板の4枚仕立てだった。




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さらに進むこと数十メートル・・・




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歩行者や自転車には効果が無いが、車は完全にここでアウトという車止めだ。
歴史ある道なのに、永久に供用する気はないのか??




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現在地はここ

ラブホの横を通り、この先国道414号になる。
口野トンネル(1番と番号を振ったトンネル)を通り、口野放水路交差点に戻る。

(その4へつづく)

  

山梨県身延町 富士川支流に架かる吊橋

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【14年5月18日探索・5月24日公開】

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現在地はここ
<7時の方角を向いての撮影>

山梨県南巨摩郡身延町上之平 国道300号線上からの光景だ。
ちょうど身延線の特急ふじかわ1号が通過しているが、目的地はその右の吊橋だった。
富士川支流の常葉川に架かる。

実際、吊橋だとわかったのは現地で見ての事だが、事前に地図を見て何かこう、気になる橋だったので雰囲気のよさそうな橋なら訪問しようと思っていたのだった。

2径間の吊橋だ!これは近くで見てみよう。




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現在地はここ

橋の袂にやってきた。

主塔の上から延びていた主索が、直接地面に埋められている。
ここは交通量はほとんどないと思われるが、一応自動車が通行可能な道路部分である。
車が引っ掛かったりしないのかな・・・




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その取り付け部もレアな感じだったが、渡ろうとした私は主塔の先に分岐がある事に気づいた。
直角方向に分岐する橋もまた相当レアな橋という事になろうか。




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左側、簡易ゲートの先は細道が続いていた。
車両は、二輪なら通行可能かも?




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「本線」に戻る。
橋は2径間なので、途中にピーク地点があったりする。
床板は趣味者としては残念な、樹脂製であった。




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床板は新しく見えたが主塔はそれなりに年季が入っているように見えるので、メンテしながら使っている可能性が高い。
国土変遷アーカイブの航空写真で確認した限り、昭和51年(1976)にはこの場所に橋が架かっている。
先代である事も否定はできないが、おそらく主塔は同じものであると思う。




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橋を渡った先にはシングルトラック道が延びている。
波高島地区に向かっているようだ。国道旧道よりも歴史のある道なのかもしれない。




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最後に橋の全景を撮影した。
この日はこの後に、もう何箇所か訪問するのだが、幸先よくイイもん見たにゃ!

  

千葉県御宿町 煉瓦カルバートと大日洞

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【14年2月22日探索・5月25日公開】

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現在地はここ
<進行方向、撮影方向とも10時>

千葉県夷隅郡御宿町浜 御宿町道と思われる道がJR外房線をくぐる手前だ。
ここで道が二手に分かれるが、どうも同じ道路の新旧であるようだ。
当然、旧道に見える左に行く。




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線路をくぐっていたのは煉瓦カルバートだった。
巻立て部は5重になっている。
かなり綺麗に見えるが、外房線開業時の大正2年(1913)竣工であろう。
ちなみに、新道の方には「砂田跨道橋」と昭和60年5月(おそらく竣工)を示す「1980ー5」という情報があった。





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反対側はこんなだ。
平成7年に御宿~勝浦間は複線化されており、その際にこうなったのだろう。




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そのコンクリカルバートの場所で振り返ると、天台宗最明寺入り口の石柱がある。
かつては山門があったそうだが、ちょうど今の外房線線路上だったので、取り壊されたようだ。




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現在地はここ

そんな最明寺だが、開基はなんと弘仁13年(822)とされている大変歴史のある寺院だ。
本堂左側を通ると、先に何かがあった。




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大日洞の文字が怪しげで古そうに見えるが、完成したのは平成4年(1992)である。
元々、鎌倉時代の武士の納骨、供養所の洞窟だった場所だと寺のHPに書かれていた。




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中、けっこう暗いな・・・




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と思ったら、なんと人感センサー付の自動照明だった。




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そしてこれが祀られている大日如来像だ。
海沿いらしい名の波乗り観音という仏像もある(前の画像の正面がそうなのだが、アップでの撮影を失念した)。



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参拝を終え、入ってきた参道を振り返った。
洞窟内の仏像のほうがありがたみがあると思うのは私だけだろうか?

  

山梨県身延町 国道52号線旧道・下山隧道(前編)

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【14年5月18日探索・5月26日公開】

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山梨県南巨摩郡身延町 国道52号線の旧隧道・下山隧道のレポは「山行が」で見ていたのだが、私の持っていた「昭文社 ニューエスト 山梨県都市地図帖(1990年7月発行)」にはなんとその旧隧道が描かれていたのだった。

これは自分の目で確かめる必要がありそうだ。




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現在地はこの辺
<撮影方向は7時>

現在の地図だと北向沢橋バス停の位置が大きく異なっているがまあいい。
国道52号線現道は古屋敷洞門(平成17年完成)で富士川べりを走っている所になるが、旧道はここを斜め右に入る。




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5月という事もあって既に激藪だった。
画像では普通に進めるようにも見えるが、竹の倒木が多く、旧道はわずか3,40mほどなのに思いのほか大変な思いをした。




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この画像もわかりにくいが、要はここから先には道がないと言いたかった。

元々、橋かカルバートで沢を越えていたのだろうが、その痕跡はなかった。
自然災害による流出だろうか?




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で、対岸の藪を見上げる・・・
あれ、かな??




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ズームアップした。
隧道といわれればそんな気もするし、違うような気もする。

いずれにせよ、こちら側からはこれが探索の限界だった。
反対側に行ってみよう。




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現在地はこの辺
<今度は振り返って12時の方向を見ての撮影>

反対側の入り口は左のガードレール付近のようだ。




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道路っぽくはないが、平場が延びているので間違いないようだ。




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夏のゲレンデみたいだな・・・

この手前に大型のハチがいて、ずっと同じような場所を飛んでいたため、私は5分くらいじっとしていた。
それでもハチは立ち去らなかったので、私はできるだけ遠回りで、身を低くして通過したのだった。




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あれ!?

この先、崖になるようだ。
隧道なんてあるのか??




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あった!!

私が立っている「旧道」にはかなりの盛り土がなされたようだった。
現道建設の残土か??

なので、隧道はかなり下にあった。
5mくらいの急斜面を下りていく。

(後編につづく)

  
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