【15年5月17日探索・10月2日公開】
群馬県高崎市倉渕町川浦 県道54号長野原倉渕線だ。
今日は、ここに旧道があるようなので確認してみようと思う。
元々の進行方向は、倉渕ダム方向だったのだが、この画像は振り返り方向での撮影になる。
今日は、ここに旧道があるようなので確認してみようと思う。
元々の進行方向は、倉渕ダム方向だったのだが、この画像は振り返り方向での撮影になる。
この急坂を左に入ると・・・
草が生い茂っているので、ここが何であるのかが大変わかりにくい。
ここは橋なのだ。細尾橋、竣工は未確認だ。
ここは橋なのだ。細尾橋、竣工は未確認だ。
その先は、人工廃道?
怪しい平場が続いていた。
怪しい平場が続いていた。
立派な石垣があった。この石垣も、道路の擁壁なのだろう。
旧道はその先で現道に吸収されるような線形でフェードアウトしていった。
というワケで1枚目画像の坂を戻る。
ちなみに、黄色矢印は1枚目画像に対応している。
ちなみに、黄色矢印は1枚目画像に対応している。
で、現道の先、赤矢印の電信柱に注目!
その電信柱はこれだった。
つまり、旧道は現道により分断されていたのだ。
それでさっきの道はあんなに急坂だったんだ・・・
つまり、旧道は現道により分断されていたのだ。
それでさっきの道はあんなに急坂だったんだ・・・
その分断区間へとやってきた。
ではこの場所から、回れ、右!
改めて進んでいこう。
改めて進んでいこう。
これ、使われているのかな?
廃火の見やぐらだったら珍しいな・・・
廃火の見やぐらだったら珍しいな・・・
坂を下る。
その先で、現道を横切り、旧道はさらに続いていく。
その先で、現道を横切り、旧道はさらに続いていく。
ちなみに、この現道区間左側には細尾橋という旧道にあった橋と同名の橋が架かっていた。
その橋は昭和59年(1984)1月完成なので、この旧道区間は30年以上前まで現道だった事になる。
その橋は昭和59年(1984)1月完成なので、この旧道区間は30年以上前まで現道だった事になる。
人家があり、その先、回り込んでいく。
1枚上の画像の車が停まっている先で北側を覗くと、こんな立派な構造物があった。
ブドウ沢砂防堰堤、平成22年完成だ。
ブドウ沢砂防堰堤、平成22年完成だ。
旧道は谷を回りこんで、農産物販売所の駐車場とともに現道に合流していた。