【14年9月14日探索・9月28日公開】
現在地はこの辺
落石注意、林鉄跡の道路だから元々そんな立地だし仕方ないのだろう。
にしても多いな。今度は標識・・・になるのかな?
橋が架かっていた。
赤の浦橋、昭和48年架橋の橋なのだが・・・
赤の浦橋、昭和48年架橋の橋なのだが・・・
どうもアーチ橋っぽいのだが、木が生い茂りすぎてよくわからなかった。
林鉄時代の遺構も眠っている可能性はあるが、この状態では発見など無理だろう。
林鉄時代の遺構も眠っている可能性はあるが、この状態では発見など無理だろう。
子宝に恵まれるといわれる大嶽山那賀都神社入り口脇を登っていく。
林鉄としてはちょっとありえない勾配だから、スイッチバックか迂回して標高を稼いでいたのだろう。
林鉄としてはちょっとありえない勾配だから、スイッチバックか迂回して標高を稼いでいたのだろう。
その先も、そう言われればという感じの道を進む。
また落石注意看板があった。
ここまで集落と集落の間にはほとんど落石注意看板があったような・・・
ここまで集落と集落の間にはほとんど落石注意看板があったような・・・
笛吹川右岸としては最後の集落、芹沢集落に入った。
何か石像があった。
笛吹権三郎、落人の子であり、横笛の名人であった。豪雨で母を失いその母を笛を吹きながら捜していた。ある時母に呼ばれ権三郎も川に身を投じたという悲しい伝説があり、笛吹川の名の元になった人物でもある。
笛吹権三郎、落人の子であり、横笛の名人であった。豪雨で母を失いその母を笛を吹きながら捜していた。ある時母に呼ばれ権三郎も川に身を投じたという悲しい伝説があり、笛吹川の名の元になった人物でもある。
探索としては注目は石像ではなく、直進する細い道になる。もちろんそれを進む。
石垣復活!ようやくそれらしくなってきた。
少し進んだ右側には、林鉄と関係があったのかどうかは不明ながら、それっぽい小屋があった。
現在地はここ
この先、人家なし!の象徴のようなゲートが再び現れた。
地図に描かれている道はあと約500mだが、ダム直下までは地図読みで2kmほどある。
どうせここに戻ってくるのと、この先は単独の方が行動しやすそうな気がしたのでヘリオス号はここで待機させる事にした。
この先、いったいどこまで行けるのだろうか?
地図に描かれている道はあと約500mだが、ダム直下までは地図読みで2kmほどある。
どうせここに戻ってくるのと、この先は単独の方が行動しやすそうな気がしたのでヘリオス号はここで待機させる事にした。
この先、いったいどこまで行けるのだろうか?
(その4へつづく)