【14年2月16日探索・3月31日公開】
白っぽいものが見えてきた。
外房線を跨ぐ、跨線橋だった。
こんな廃空間に真っ白な跨線橋は不釣合いなのだが、列車側から考えれば廃でも何でもない。
この真っ白な色もまた計算された色合いなのだろうか?
こんな廃空間に真っ白な跨線橋は不釣合いなのだが、列車側から考えれば廃でも何でもない。
この真っ白な色もまた計算された色合いなのだろうか?
外側は一応化粧で取り繕っている感じだったが、路面状況からすると廃橋といってもよさそうだった。
そんな跨線橋から、外房線の煉瓦トンネルが見えた。
現在は下り線のものだが、大正2年(1913)の開通時のものであろう。
現在は下り線のものだが、大正2年(1913)の開通時のものであろう。
その先は、道路だか川床だかわからないような状況だった。
こんな、2月とは思えないような激藪を進むと・・・
穴が見えてきた。
掘割上になった隧道付近には、数多くの枝が落ち、木が多数倒れていた。
この探索直近2日前が関東地方の大雪で、千葉県南部は暴風雨だったようで、その影響かもしれない。
この探索直近2日前が関東地方の大雪で、千葉県南部は暴風雨だったようで、その影響かもしれない。
立入禁止看板が前にせり出してきて、いっそうそれが目立つ。
推定で幅員、高さとも5m程度あるように見えた。
推定で幅員、高さとも5m程度あるように見えた。
現道は4本のトンネルでこの区間を越えているが旧道にあるのはこれ1本のみになる。
そしてその現道トンネルの竣工だが、御宿よりの3本は昭和30年~昭和32年となっており(隧道データベースより)一番勝浦よりの東魚見トンネルだけが昭和39年となっていた。
そしてその現道トンネルの竣工だが、御宿よりの3本は昭和30年~昭和32年となっており(隧道データベースより)一番勝浦よりの東魚見トンネルだけが昭和39年となっていた。
・・・1本だけ7年も遅れるのはちょっと不自然だと思う。ただの推定だが、東魚見トンネルも昭和32年くらいには貫通しており供用はされていたのではないかと思う。コンクリ巻立て等の工事が終了したのが昭和39年ではないかと思う。
まあいずれにせよ廃止後50年程度は経過している事になる。
内部はこんな感じだ。
明治中期くらいに掘られ昭和20年頃に掘り下げられたであろうと「山行が」は推測していた。
横縞模様の約1mくらいが掘り下げられたところか?
明治中期くらいに掘られ昭和20年頃に掘り下げられたであろうと「山行が」は推測していた。
横縞模様の約1mくらいが掘り下げられたところか?
帰りの電車の時間が迫ってきたが、反対側にも急いで行ってみよう。
(その3・最終回につづく)