【17年4月2日探索・8月23日公開】
現在地はここ
埼玉県富士見市大字針ヶ谷 志木市と三芳町との境界近くだ。
柳瀬川沿いの桜を見に、妻と散歩の途中、たまたま石造りの何かがある事を発見した。
柳瀬川沿いの桜を見に、妻と散歩の途中、たまたま石造りの何かがある事を発見した。
この放置された構造物に、とっさに物件の匂いを感じた私はその石の構造物の正面に回った。何か刻まれているぞ・・・
右書きで「針ヶ谷樋管」と刻まれていた。
これには少しばかり驚いた。右書きという事は・・・
その裏側に回った。
すると、また右書きで、昭和九年三月竣功と刻まれているのが見て取れた。
すると、また右書きで、昭和九年三月竣功と刻まれているのが見て取れた。
煉瓦造りなどという派手さはないが、ウェブ上でも一切引っかからない放置されていた戦前の土木遺産を発見した(いや、近所の人は気づいてはいたのだろうが)事になる。
反対側に回ってみた。
こちら側はコンクリートが主になっているが、樋管自体は埋もれながらも辛うじて残っていた。
こちら側はコンクリートが主になっているが、樋管自体は埋もれながらも辛うじて残っていた。
その延長線上を眺めてみた。
樋門の先は現在の水子地区、水谷東地区の国道463号線沿いあたりに延びていた農業水路だったと考えるのが自然だろう。
樋門の先は現在の水子地区、水谷東地区の国道463号線沿いあたりに延びていた農業水路だったと考えるのが自然だろう。