【16年12月4日探索・17年3月30日公開】
現在地はここ
私は対岸に行くために川を直接渡る事を考え、それに適した場所を探していた。
そして、このあたりで靴を脱ぎズボンの裾をまくし上げて渡河した。
そして、このあたりで靴を脱ぎズボンの裾をまくし上げて渡河した。
反対側、つまりは山梨県上野原市側にやってきた。
こちら側は橋の1径間が残っている。まずはそれを目がけて・・・
こちら側は橋の1径間が残っている。まずはそれを目がけて・・・
崖をよじ登り、橋に辿りついた。
こちら側の桁、というか床版は利用者がいないせいだろう、完全廃モードだった。
こちら側の桁、というか床版は利用者がいないせいだろう、完全廃モードだった。
架かっている部分の先端まで行ってみた。
当然、左岸側には橋台だけが残存している。
当然、左岸側には橋台だけが残存している。
つか、橋台のすぐ隣にある構造物は何だろう?
今度は橋の下側を見てみよう。
こんな歩行者用な橋だが、コンクリート製だった。
流木などが引っかかっているようだが、いつの大水だろうか?
流木などが引っかかっているようだが、いつの大水だろうか?
橋桁下部は鉄筋が一部むき出しになっていた。
上野原市側にはこんな謎の構造物も放置されていた。
いや、謎なんかではない。
いや、謎なんかではない。
この画像がたぶんの答えだった。
コンクリートの橋はおそらく旧来からあった道のものだと思う。
この道自体の謂れが何かないものかと藤野町史、上野原町史なども探してみたがどこにも書かれていなかった。おそらくは甲州街道の裏道的なものだったんだろう。
この道自体の謂れが何かないものかと藤野町史、上野原町史なども探してみたがどこにも書かれていなかった。おそらくは甲州街道の裏道的なものだったんだろう。
で、上野原市側にも4枚上の画像同様の構造物があった。これで決まりだな・・・
おそらくは地図に描かれていた橋を含む記号は中央自動車道の工事用道路の痕跡なんだろう。そして、橋はこの位置に架かっていたのだろう。
位置関係から推測すると、工事用道路の橋が元々あった橋の1径間分を撤去させたのかもしれない。
おそらくは地図に描かれていた橋を含む記号は中央自動車道の工事用道路の痕跡なんだろう。そして、橋はこの位置に架かっていたのだろう。
位置関係から推測すると、工事用道路の橋が元々あった橋の1径間分を撤去させたのかもしれない。
そう考えると、人知れずこの場所にひっそりと、健気に架かっていたであろう名も無い橋が愛おしくなった。
(おわり)